【原題】The Matrix Resurrections
【監督】ラナ・ウォシャウスキー
【出演】キアヌ・リーブス キャリー=アン・モス ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世ほか
【あらすじ】
ネオ(キアヌ・リーヴス)は自分の生きている世界に違和感を覚え、やがて覚醒する。そして、マトリックスにとらわれているトリニティーを救出するため、さらには人類を救うため、マトリックスと再び戦うべく立ち上がる。(Yahoo!映画より)
【感想(ネタバレなし)】
『嘘もマシマシ』
今年も性なる夜イベントのフラグすら勃たず現実を直視出来ずに画面越しの仮想現実に性を出していたそこの君、ここに赤いピルと青いぴr……どーもラーチャえだまめです。早速ですが本日はコチラの映画を拝見させて頂きました
【マトリックス レザレクションズ】!!!よぉおおおお!!!ついに…!!ついにこの日がやってきてしまいました、マチョリックス…!!!いやー世代、ではないのですが小学校低学年くらいでしょうか休み時間のクラスの廊下で男子は必ず一度は真似したであろう“バレットタイム”。シュンシュンシュンシュン…!!!反り腰で弾を避けるあの動作が社会現象を巻き起こし昨今の接骨院の増加に一役買ったとかいないとか、いやーもう私の世代でも“真似事”と言ったらこれか、あとは横浜市だと遠足で氷川丸の先端で「タイタニック」のポーズを先生から無理やりやらされるくらいでしょうか??そんな公開当時“革新的な映像技術”が今日のSF映画に与えた影響は凄まじく、“新たな映画史を生み出した”とされる今なお“神話”として語り継がれている一方で、本シリーズもまた“ジャパニーズアニメ”に影響を受けた作品として?日本でも大人気となりました。
しかしシリーズ3部作で物語は既に完結。前日譚?リヴート?まさかの続編?最終章「レボリューション」であんな終わり方をしてしまったのに、あそこからどう物語を繋げるというのか……ファンならそこが一番気になるところですよねー。今年公開とだけ予告されなかなか映像すら拝めなかった本作、「レザレクション(復活)」とタイトルが表す意味とは?
いやまさかジョン・ウィックが仮想現実の話だったんて(違います)
近未来、人類とマシーンとの間で戦争が勃発。勝利したのはマシーンだった。空と大地を完全に掌握したマシーンはそういや自分たちだけで動力エネルギーを自己生産出来なくね?と人間を“ポッド”に閉じ込め体内から熱エネルギーと電気エネルギーを取り出す方法を思いついた。そして人類はマシーンの“家畜”として生涯を全うする存在と化した…。なおエネルギーは感情に左右されるので人類はそのために“仮想現実”を見させられた……なんだよアンダーソンくん!!そんなドイヒー環境を救う人類の“救世主”として?プログラマーのトーマス・A・アンダーソン……おおっとそれは仮想現実での呼び名だったな本名“ネオ”という男が?人類をマシーンの脅威から開放すべく立ち上がった……のが3部作のおおよそのあらすじ。まず本作は「シリーズを見ていることが前提」で制作されております。というか「過去作の映像がちょいちょい本編に挟まれて」くるんですよね。そう、まるで“デジャブ”のように……少なくとも1作目は見てから望んだほうがいいかな?そして本シリーズと言えばなんといっても先程出た“仮想現実”というパワーワード、そして難解な設定にシナリオといった具合に“難しい”イメージを持たれている方もいるかもしれません。
ネタバレを控えながら本作をご説明致しますと、確かに本作もやや難解、いや18年後の新作で“また新たな試み”に挑戦している?まず今作に登場するネオ、アンダーソンは“大量の青いピルを精神科から処方されている”のです。おーっとこれは過去作でネオが“真実の赤いピルではなく偽りの青いピルを選んだシュタゲ的世界線なのかー?”と思った方、うーん微妙に違うんですよね(詳しくは言えませんが)とにかく青いピルを飲み続けて数十年、人類を救った救世主としての器はどこへやら、見た目だけキリストみたいにヒゲモジャになってます。もうジョンじゃんウィックやん。シリーズ復帰おめでとうキアヌ・リーブス。彼曰く「ヒゲや髪を伸ばすのは毛の長い役がきてもすぐ演じられるため」だそうですがなんだか小汚いオッサンに見えて仕方がない。そして現在は「マトリックス」と呼ばれる“ゲーム”の開発者としてゲーム会社で働いている…??いやこれにはビックリしました。ネオの働く職場のディスクの上にマトリックスのフィギュアが飾ってあるんですよ?これまで劇中“マトリックス”というワードは出てきましたが、映画ではなくゲームと若干変えてはいるものの、このマトリックスという単語は?我々が知るあの「マトリックストリロジー」という“作品”のことを間違いなく指しており、つまりこの映画
「マトリックス」の中で「マトリックス」という“作品”を語っている
この発想は面白いですねー。しかも社内会議するシーンで「マトリックスとは何か」を社員が議論し合うのです。社員=この映画の制作スタッフですよね?つまり制作陣が「マトリックスとは何か」を自問自答しているのを、あえて我々視聴者に見せつけてやろうと。その寄せられた“声”というのは、我々世間一般が持つイメージから専門的なものまで。本作から制作に携わった18年前はまだイチ視聴者だった“ファン”であるスタッフたちの実際の会議の様子をまるで見ているかのような
でもダサいのよ
第三者ならばともかく創作物の当事者が自分の創作物を語るやり口はちょっと個人的に見ていてダサく感じちゃいました。ジョージ・ルーカスが「スターウォーズが私たちの社会に与えたものは何か」のドキュメンタリーを自主制作でやったらなんか自分語りがウザいオヤジに見えてくるのと同じ。「エヴァ」だって周りが勝手に論争したり考察したりワーワー騒ぎててるだけじゃないですか?でもそれで世界観が当事者の手から離れそれ以外の色んな目線に立つ他者からたくさん揉まれて揉まれて……そして当事者の想像をも超える壮大な世界観=歴史が出来上がっていくわけで。それが“神話”爆誕なのです。だから「マトリックスがマトリックスを語る」という新しい試みは面白いのだけれども、同時にカッコよさは失われしまうというか。そう、本作はそんなカッコよさ=演出・アクション・ストーリーといったトリロジーにあったものが「ない」のです。いや完全に「衰えた」と言っていいでしょう。スタイリッシュさ「キレ」と言ったものが?作品から微塵も感じられないのです。
もちろん出演者の年齢、これも一つの大きな要因でしょう。キアヌももう57歳のラーメン大好きおじさんです。動きにキレがない。否「ジョン・ウィック」ではあんなにキビキビ動いていたのに……トリニティ役のキャリー・アン=モスももう年齢には勝てません。まずここでトリロジーと比べ「大幅なアクションの減少」がございます。もう全然アクションが少ないです。トリロジーでは「カンフー」炸裂なキレッキレのかっこいいアクションシーンがありました。私は物語もさることながらこの映画のアクションがとっても好きでした。カンフーを下敷きにしながら“バレットタイム”など独特なカメラワークを多様した“唯一無二”のものに仕上がっていたからです。今回派手なのはクライマックスのチェイスシーンくらい。なんかアクションのカメラワークが悪くて、大勢でわちゃわちゃし過ぎてよくわからない。これもまたトリロジーとどエラく変わった点の一つです。公開前に「新たな革命的な映像」「見たこともないカメラを使っていた」のウワサはなんだったのか……。
今作から初出演の若い新キャストもおりますから?あえてそうしなかった、という見方のほうが合っているかもしれません。その新キャストのモーフィアスがパッとしなさ過ぎる。ネオやトリニティが本人なのに対し「モーフィアスだけどモーフィアスじゃない」設定がイマイチハマりきれてないというか……演じる今ノリに乗ってるブラックマンタことヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世がローレンス・フィッシュバーンに似ているというのは言われたらそう見えてくるから良かったんだけど。そのモーフィアスの他にも「代役」として?シリーズの顔、ネオの永遠のライバルことエージェントスミスもヒューゴ・ウィーヴィングに代わり「アナと雪の女王」のクリストフ役のジョナサン・グロフという俳優にチェンジ。まあスミスは外見変わってもストーリーに支障はなさそうですが、でもやっぱり「コイツがスミスです」と脳内変換しようにもなかなか難しい。それだけ役者が役にハマっていないんですよね。
ジェシカ・ヘンウィックの役柄もねー、言わないけどちょっと3役くらい掛け持ちしてる感があるんですよね。フレッシュな初々しさとリーダー株はちょっと相反するというか、もう一人主要キャラがいた方が良かったんじゃないかな。そのほか敵であるマシーン側にも今回「味方」が登場するのですが、具体的になぜ人間の味方をするのか、誰かがいじくってプログラムを改造した?説明がないからわからない。わかったのは「クジャク」の発音のみ。トニー賞の常連司会者ニール・パトリック・ハリスの精神科医の役柄もまた……うーん“なんか見ていてウザいヤツ”!!!
監督はウォシャウスキー“姉妹”の姉ラナ・ウォシャウスキーのみ。これまでリリーと共に二人三脚でシリーズを牽引してきましたが今作からラナだけなんですね。18年越しのシリーズ復帰、生みの親は何を想うのか
「ワーナーブラザーズが唐突に3部作トリロジーの新作を求めてきたから作らざるを得なかった」と思いっきり愚痴るセリフが今作の全てを物語っているのでは?
3部作公開後そりゃあ大人気シリーズですよ、幾度となく続編や「マトリックス」ワールドの展開をワーナーブラザーズは求めたでしょう。けどウォシャウスキー姉妹は一括して3作目以降の制作を拒否してきました。それから18年、家族や友人の死という度重なる悲劇が起き、そんな時にネオやトリニティが夢の中に現れ「救ってくれた」とラナはコメントしています。彼らはまだファンの中や自分の中で「生きている」。だからシリーズを終わらせるのではなく、その続きをまた描くことで自分自身も救われる、そう感じたのでしょうか。
故に本作は「愛」が大きなテーマでした。男女の愛、母の愛、この世は愛に満ち溢れ、それは仮想現実の「制約」すらぶち壊すほどのとんでもクライシスなエネルギーを秘めている……そしてそれをより体現しているのがネオではなく実はトリニティの方だった…シリーズ4作目の本作の「真の主人公」はネオではなくトリニティという点も、ラナの18年での心境の変化が反映されていたと思いました。
しかし、4作目の本作にはそもそも画面に“緑のエフェクトがかかっていない”作品を象徴する演出を取っていない、これはつまり続編だけれどもトリロジーの中には“含みたくない”という想いもちゃっかりあるんじゃないかな?それはつまり完結させたシリーズを数十年経って突然引っ張り出してきて“金のなる木”の産物としてただ甘い汁を吸いたいだけのワーナー=映画会社への猛烈な反骨精神の現れ?そうなるならいっそう本作の存在そのものを“ブラックジョーク”として見ているのかも、しれません。
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