【原題】Come to Daddy
【監督】アント・ティンプソン
【出演】イライジャ・ウッド スティーヴン・マクハティ マーティン・ドノヴァンほか
【あらすじ】
ミュージシャンとして活躍するノーヴアル(イライジャ・ウッド)は、疎遠になっていた父親からの手紙を受け取り、彼が住む島へ向かう。ノーヴアルは久しぶりの再会に胸を躍らせていたが、父親の横暴な振る舞いに不信感を抱き、帰ろうとする。しかし予期せぬ出来事により、島から出られなくなってしまう。(Yahoo!映画より)
【感想(ネタバレなし)】
『拝啓お父様……あなたは一体誰ですか?』
どーもどーもラーチャえだまめです「未体験ゾーン」!!今宵ご紹介する「未体験」は……?父を訪ねて十数年?5歳から疎遠になっていた父からある日突然届いた1枚の手紙。手紙を頼りにやってきたその息子、久しぶりの「再開」に心躍るかと思いきや…?【プライス 戦慄の報酬】!!
我らがイライラ番長イライラウッド改めイライジャ・ウッドの最新作でございます。これまでチキンナゲットを食べてゾンビ化した子ども達にイライラ、綺麗な髪の女性にイライラ、髪の生えたヴィン・ディーゼルにイライラしていたウッドさんでありますが今度は一体どんなイライラが待ち受けているのか
てか髪どーしたんだよ
「フィフスエレメント」のおかっぱ宣教師かよ!!いやーちょび髭生やしたもういい歳のおっさんなのに日に日にえなりかずき化が止まらない「永遠の息子役」もしくは永遠に火山に指輪投げれる俳優(どんな俳優だよ!!)としてまだまだ活躍出来そうですねッ!!とか呑気な事言ってる場合じゃない
“先の読めない”系の秀作
いやーこれまたOPからシェイクスピアとビヨンセの名言を並べるという“一寸先も読めない”展開がウリの映画、だったんですねー。
山の中にありながら目の前が海という超リッチな60年代のUFOみたいなカタチの家に一人で住んでいる父。今まで一体何を?今はどうやって生活を?仕事は?友達は?……これまで“あまりにも知らな過ぎた”父の過去そして現在。イライジャ演じるノーバルは父がどうして今になって連絡をくれたのか?「何故此処へ呼んだのか?」それが何より一番知りたかった。しかし当の父はとても“感動の再開”とは程遠い、会うなりノーバルに対して挑発的かつ暴力的な態度を見せる。ノーバルはそんな父に次第に“不信感”を抱くようになるのですが……
本作がデビュー作らしいアント・ティンプソンという監督が実際に亡くなった父親の死体と“7日間共に生活した”時に思いついた話らしい……え?どーいう状況ですか?日本ではあまり馴染みがありませんが海外の田舎の方だと安置所の準備とかで一時自宅管理…みたいな事があるそうです。“前半と後半でまるっきり変わる”予測不能のストーリー展開が最大のウリでして、いやぁ〜そーゆー系の話なのねッ!!という、スリラーでもあり時に会場が“笑い”につつまれるようなブラックコメディ要素もある、これは是非ともネタバレせずに脳みそ空っぽにした状態で鑑賞することをオヌヌメしたいですねー。ネタバレにならない程度にもう少しだけ言うと
イライジャ・ウッドが「アド・アストラ」やったらこうなった
自分が想像していた以上に宇宙人ジョーン化していた事に絶句するブラピの記憶がまだ新しい遠い遠い宇宙にいるオトン=子どもとの“距離感”を表していた「アド・アストラ」のような、同じDNAを受け継ぎし子として最も“親しい”存在であると思っていた肉親が、実際は理解しようと努力しても何考えているのかさえ理解出来ないくらい誰よりも“遠い存在”になってしまっていた、という子どもの苦悩を描いているんですよね。そう言った意味ではまさにイライラパイセンに打ってつけだったというか、ただ“蛙の子はフロッグ”はどこの世界も同様のようで…(笑)
【感想(ネタバレ&解説)】
心臓発作で倒れた後に正体不明の物音がした時は「まさかのオカルト?」を疑ったり実はまだ生きてるんじゃないか説、もしくは「1960年代のUFOみたい…」のセリフに妙に反応していt、まさかの宇宙人ダディ説!?……なども思考を張り巡らしていたのですがまさかそもそも「父親じゃねぇ。」って話でしたか(笑)確かに最後にあったの5歳だし?一瞬シャラマン監督の「ヴィジット」と同じ鳥肌が立ちましたねー
とても印象的だったのが検視官の言った「死体に生前言えなかった事を話してみたら?」というセリフ。とっても深いセリフだなぁ〜と思いました。死ぬ前に言いたいことを伝えとかないと死んだ後じゃ後悔しますよーって一般論?でもそれってあくまで“イイ話”だけですよね?相手が不快な想いをするような話だとわかっていたら、私だったらたとえ相手が死に際だったとしても伝えないかもしれません。だってそれは“相手の為”にはならないですし、もし立場が逆だったら自分の死に際で「お前の事が嫌いだった」なんて言われたらブチ切れて化けて出るかもしれません(笑)そもそもそれってただ自分が相手に伝えて喉の突っかかりを取りたいだけの“100%自己理由”ですよね。
“死んだ後に伝えるような事”って“悪い話”なんですよ。検視官がノーバルにそう提案したのは、ノーバルが父親と仲の良い関係ではなかったからですよね。死んで悲しむべきか、それとも危うく殺される所だったからほっとするべきか、はたまた死んで清々するべきか?どんな顔をしたらいいのかさえわからないノーバル自身の気持ちの整理が出来ると思ったから奨めたのではないでしょうか?これは一種のストレス発散にも似てますよね。どうせ言った所で傷ずく相手は死んでますから“100%自己理由”でもいいのです。
「何故此処へ呼んだのか?」一度目の質問は本当の父親ではないので当然答えられなかったわけですが、本当の父親もその質問には結局答えてはくれませんでした。まあ死に際で喋れなかったということも考えられますが、口には出さずに代わりにノーバルの手をぎゅっと握ってその後回想シーンがきて映画は終わります。あの終わり方もなかなか良いじゃないですか〜。父親が子供に会いたい「明確な理由」なんてないんじゃないか?言語化したり文章化する事では表せられない想い、それを手をぎゅっと握る、という行動で父親の気持ちを全て表しているような、そんなラストだと思いますねー。
それにしてもチラシに“今までと180度違うイライジャ・ウッド〜”なんて書かれておりましたが、、、、、いやむしろ毎度180度フルスイングしてるイメージしかないのだが(笑)
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