【原題】Knock at the Cabin
【監督】M・ナイト・シャマラン
【出演】デイヴ・バウティスタ ジョナサン・グロフ ベン・オルドリッジほか
【あらすじ】
ゲイのカップルであるエリックとアンドリュー、そして養女のウェンの家族が山小屋で穏やかな休日を過ごしていると、突如として武装した見知らぬ謎の男女4人が訪れ、家族は訳も分からぬまま囚われの身となってしまう。そして謎の男女たちは家族に、「いつの世も選ばれた家族が決断を迫られた」「家族のうちの誰か1人が犠牲になることで世界の終末を止めることができる」「拒絶することは何十万もの命を奪うことになる」と告げ、エリックとアンドリューらに想像を絶する選択を迫ってくる。テレビでは世界各国で起こり始めた甚大な災害が報じられるが、訪問者の言うことをにわかに信じることができない家族は、なんとか山小屋からの脱出を試みるが……。(映画.COMより)
【感想(ネタバレなし)】
『出会ったら宇宙に飛ばされます』
後ろにいた2人組が劇場を出たあとも最寄りの駅までずっと一緒だったことってありません?ラーチャえだまめです。しかもその2人組はずっと「Mナイトシャマラン監督の話で盛り上がって」いたのです……シャマラララン、シャマラララン、シャマララランラン、シャマラララン……
【ノック 終末の訪問者】!!出ましたよ皆大好き“出たがりオジサン”ことM・ナイト・シャマラン監督最新作。いやーついこの前「オールド」を観たばっかな気もしますがー、畑にミステリーサークル描くだけにアホみたいな大金つぎ込んだ「サイン」の反省からか最近はコンスタントに、いっても“中規模程度”の映画を量産するスタンスに変更ですか?いやーその「サイン」が私のマイベスト映画だったりするのですが、「エアベンダー」「アフター・アース」と両足ズボッと沼にハマって以降、やいPOVやらマルチバースやら“流行りのもの”に乗っかる戦法&自らを「どんでん返し監督」と“安売り”して“オチばっか”先行して作ったかのような作品を爆誕。それも全ては「シックス・センス」以降のZ世代でも入信できるくらいシャマラン作品としては比較的「ライト系」に当たる作品で、まずは私を知って下さいよー、というある意味“入門編”としての意味合いが強かったのではないでしょうか?故に“古株ファン”は少し“置いてけぼり感”が歪めませんでしたが最新作のコレ
「サイン」「ハプニング」が好きな方、飛び込みの準備を
ここへ来てアナタの「好きな」シャマラン映画が来ちゃったかもしれませんッ!?いやー、正直今回は全ッ然期待していなかったのよ。いや“シャマラン映画だから”以外に観ない理由なんてある?とりあえずシャマラン映画だから……くらいの軽いノリで行ったらですよ、
シャマランが「ファニーゲーム」撮ったらこうなった?
え、「ついにシャマラン教設立ですか?」一応今回も前作「オールド」と同じく原作小説がベースとなっており“完全オリジナル脚本ではない”のですが、これはシャマランっぽいな〜。今回まず観て感じたのがここへ来て「古株ファン」に向け“完全復活”を宣言した映画を叩き込んできやがったという!?むしろこれはこれまでのシャマラン映画の、ある意味では“集大成”とも取れるかもれしない!?衛星電波も届かない山小屋でバカンス中のとある家族に突然やってきた訪問者
ケビンベーコンも泣いて逃げ出すデイヴ・バウティスタ演じる“レナード”と名乗る大男と数名の“全く面識のない”男女が突然山小屋にやって来る。安心して下さい、履いてますy……間違えました怪しい者ではありませんよ〜。とどうか警戒心を持たないで欲しいと説得するレナード。んなこと言ったって面識ゼロだし顔怖いし身体固そうだし電話線切るし大きな釜とか凶器持ってるし身体固そうだしどー考えても不審者過ぎんだろワレええええ!!!!と逆に臨戦態勢に入る家族。“仕方なく窓ガラスを割って家に侵入して家族をロープで縛り上げる”とレナードですが……武力行使でビビらせようとするのではなく、あくまで「説得」で事をさせようとするという所が“より怖い”?「マインドコントロール」に近い精神的な攻め方をしてくる所がシャマランらしい憎い演出。そして
安定の「全く先の読めない」一体レナード御一行の正体は?「世界を救う」って何?それがこの家族とどう絡んでくるの……?深まる謎。はぁー、この辺りの演出は毎度本当にため息が出るほどの完璧。観る者の想像を掻き立てられるシャマランワールドは今作も健全であります。主演はバウティスタを筆頭に「アナと雪の女王」のクリストフ役でおなじみジョナサン・グロフや「ハリーポッター」のロン・ウィーズリーことルパート・グリント!?がホグワーツに入学せず普通の人生を通りいつしか酒に溺れるクズ野郎となった世界線に生きる男を熱演。マーベルとディズニーとハリポタ俳優を抑えてるんですよ!?ってそれだけでも日本でもっとバンバン宣伝してもいいと思うのですが??
今回は小さな山小屋に集まった数人「だけ」で物語が展開される“小規模”映画でありながら、OPからキャストの“どアップ”画の連続、からも見てとれる俳優陣一人一人の“個の演技”が緊迫した世界を漂わせ、「ブレードランナー2049」でチョイ役ながら渋い演技を見せてくれたバウティスタの演技力もここ最近でどんどん膨れ上がってる今作では筋肉モリモリながら脳筋ではなくとても“繊細”な一面を持つレナードを見事に演じておられましたねー。
テーマは「究極の自己犠牲」
今回は新規ファンが見たら「なんだこれ?」と肩抜かしを喰らうかもしれません。しかし古株ファンならば「やっと本来の感覚取り戻してきたんじゃないっすかシャマランさんよ!」と興奮してしまうかもしれません。……と言うのもシャマラン監督を語る上で勿論“どんでん返し”という“ジャンル要素”も彼の代表的なものの一つでありますが、彼のこれまでの作品を通して見ても、たとえば「アンブレイカブル」で世界一不幸な男を超人ヒーローに仕立て上げた張本人であり、「サイン」で異星人めがけて「フルスイングしろ」と耳打ちするわ「ハプニング」で「まぁどう解釈するかはアナタ次第でッ!」と投げやりなどなどやりたい放題やってくれた毎度作品の裏には「神的な何かの存在」がチラッチラと見え隠れしておりました。そして今作でもそれは、むしろ“顕著”に現れているというか、いや今作のテーマというか?人は皆“何かの存在”に突き動かされているのだ!というスピリチュアルな要素が非常に色濃く、そして我々は常に“選択”を余儀なくされる、というテーマ性もあります。
「家族の誰かが犠牲になれば世界は救われ、誰も犠牲を選ばなければ家族以外の78億人が失われる」
そ、そんなの知ったこっちゃねえ!!!ワシらさえ生き残るなら?世界の人間が消滅しようが関係ないわああああ!!!!……私でもそう言うと思います。ましてやレナード達の言っていることに“矛盾”すらあるし“嘘か真か”不確定要素に自分の命を簡単にサクリファイスに選ぶはずがない。でももし彼らの言うことが全て本当で、そして選ばなきゃならないとしたら?
その犠牲に選ばれる家族というのが、なんで夫婦ではなくゲイカップルにしたんだろう、そこがずっと引っかかっておりました。男女カップルだとオスとメスの余計な生物学要素まで入ってきて「嘘偽りのない愛」を持つカップルを描く上で「生物学」的に囚われない必要があったから?現にアンドリューとエリックパパの家族の愛は間違いなく“ホンモノ”で、愛ある者故に世界の運命を託されてしまう。それもまた「必然」というのが残酷ですねー。ちなみに今回2人の間に養子である娘が登場するのですが、シャマラン監督も一番下のお子さんが養子だそうで、劇中描かれる養子施設シーンなどはシャマランの“実体験”も元になっているんだとか。あと最初にレナード達を“反同性愛組織”による襲撃だと勘違いする場面が出てきて、同性愛者などLGBTQの彼らが、まだまだ日常で“身の危険を感じる瞬間”があるということ、生きづらさを抱えている現代的な問題も描いています。
ただこの映画、かなり「危ない橋」渡ってる映画でもあると思うんですよね。だって最後は完全に「偏った」方向に舵振り切っちゃってるんだもの。ラストで「さあさあ、本当のところはどうなんでしょうか〜?正解は1年後…」くらいに嘘か真か「どちらとも解釈できる」終わり方するのかと思いきや「スピリチュアルは間違いなく存在しますデデン!!」って言い放って終わる。(“伏線”も「運命」を感じさせる?)私はラストシーンに“恐怖”を覚えました。ホラー作家のシャマランらしい?いやしかしこのテーマ自体をホラーにするだろうか。「過度に信じ込む恐ろしさ」も実は裏テーマだったりして??
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