ナンシー(2018)
- ラーチャえだまめ
- 2020年9月25日
- 読了時間: 8分

【原題】Nancy
【監督】クリスティーナ・チョー
【出演】アンドレア・ライズボロー スティーヴ・ブシェミ アン・ダウドほか
【あらすじ】
他人とうまく接することができないナンシー(アンドレア・ライズボロー)は、周囲の関心を集めるために、うそばかりついていた。ある日、5歳で失踪した娘を捜し続けている夫婦を紹介するテレビ番組を見ていたナンシーは、その少女の30年後の似顔絵が自分にそっくりなことに気づく。(Yahoo!映画より)
【感想】

『今日一日何しようかと考え続けて気がついたら夕方になってたヤツ』
どーもどーも最近道行く人が逆再生して見えますラーチャえだまめと申します。早速でございますが本日はコチラの映画を拝見させて頂きました
【ナンシー】。いやー今年の未体験ゾーン〜でイッチャン観たかった映画、、、、それが公開当時ちょうどコロナが流行り始めた時期で泣く泣く観に行くのを諦めた映画なんでございます、はて映画「ナンシー」とは__?

30年前に行方不明になった娘が30年後突然姿を現したら…?彼女の名はナンシー。ナンシーはある日TVで30年間も行方不明の娘を探し続けるフリーマン夫妻が最後の望みをかけ公表した娘の当時の顔から推測して3Dで作成した“30年後の顔”と自分の顔が「瓜二つ」であることを知る。果たしてナンシーはフリーマン夫妻の本当の娘なのか?ヒジョーにブキミーなポスターから漂う“隠れた名作”感アリストテレスの批評家らの評判も高くサンダンス映画祭で脚本賞を受賞したという“実績”からもかなり期待していた映画、だったのですが……回りくどいのはもうナシゴレンにして

劇場で観たら間違いなく今年の未体験ゾーン「マイベスト」作品になっていただろう
いやぁーーーーやっぱり観に行っときゃあよかったかぁああああああああ!!!!だって3月なんだもん!!コロナコロナって騒がれてた頃なんだもんよおおお!!!(泣)いやーでもこれはヒッジョーに惜しいことしたなぁ〜……と後悔の念しかない個人的には「かなり面白かった」1本であります。貧しい家庭で育ったナンシー。現在は病気持ちの母の看病をしながらエンドレススマイルとかいう明らかに絶対行きたくない歯医者でパートとして働いている。そんな彼女にはある“密かな楽しみ”が……?
もうこの人の功績があまりにも大きすぎる

アンドレア・ライズボローの完全勝利
「オブリビオン」でクルーズとむの相手役としておめかけブリーフしたのち「マンデイ」でフルチン姿のマッド宣教師に爆笑する余裕っぷりを見せパンクロッカー風の激ヤセした姿で同一人物に見ることが出来なかった“怪演”っぷりを披露してくれたアンドレア・ライズボローが今回ナンシーを演じている……ことすら“気づけなかった”いやぁー彼女の演技力、もうビーックビックビックビックビk、

シャーマンキングも凌駕する“完全憑依”とはまさにこのことまさに“ナンシーという人間にしか見えない”正直初対面でこの女性にコニチワーする機会があったとしたら私は正直に、正直にこう思うでしょう「なんて不気味な女なんだ」スープ以外で使うのは初めてかもしれない魚介系のギョロッとした目つきに決して感情を表に出さない内気な性格、、、、、のようでいて突然北朝鮮にバケーションしに行ったとか(北朝鮮ってハングルなんですねー)自慢する“何を考えているのか”全く読めないタイプ……その上どこか“ライアー”な一面も…??
そんな彼女がある日突然「実はアナタの娘です。」とやってくるわけなんですね。相手は不運にも愛娘を失った善良な老夫婦ですよ!?もうこれは“ウラがあるとしか思えない”けどそれにしては「共通点があまりにも多すぎる」

本当の娘なのか?それとも全くのデタラメなのか?ずーっとムズムズしながら進むシナリオ
これですよこれ!!これがもうずーっと……こう、喉の奥からぐわぁぁぁぁー!!!っと押し寄せてくるむず痒さ!?もうどっちなの!?ウソホント!?「全く読めない」アンドレア・ライズボローの怪演、そして真実だけうまーく視聴者に“見せてるようではっきりとは見せない”視聴者次第ではどちらとも読めるような?上手い回避手段を駆使して物語が進んでいくのであります。確かにはじめの方は“ウソっぽさ”が目立つかもしれません。でもだんだんと見ていくと「あれ、これってもしかして……」見た人なら絶対に一度はそう思うはず!?ナンシーの“顕著”さ、ウソ女にしてはあまりにもガードが弱すぎる、DNA鑑定士に依頼したときも全く嫌な顔一つしない??だってDNA調べたらそんなの一発でわかるじゃないですか??必ずしも彼女が“ウソをついている”と見えなくなってくるやもしれません…。

そんなナンシーをまだ決まったわけでもないのに我が子のように溺愛し始める母親のエレンと反対に「20年前にも一度騙された」経験から疑いの目を解こうとしない父親のレオ。
脇を固めるのはジョン・レグイザモとスティーヴ・ブシェミ!?実写版ルイージと実写版サンジの共演じゃないですか。もともと顔ジワが多いスティーヴ・ブシェミですがもうシュワシュワのブシェミッ!!!…って感じの普通のおじいちゃんですね(パーデュン?)
そして明かされる真相。無論ここでは口が避けても言及は避けますが

真実かウソか、そんなの実はどーでもよかった問題
「本作の狙いは実は“そこ”ではなかった」ことがラストを観てわかってしまうんですねー。故に“ミステリー”として期待して観ると壮大なトリックも対した大どんでん返しもない実に平凡なオチ、という意味では辛口評価になるかもしれません。しかし私個人的にはそれ以上に「人の暖かさ」、ヒューマンドラマとしてめちゃくちゃよく出来た映画だな〜と思いましたというかラストに感動して泣きそうになりましたはい。いやーこれは是非とも予備知識なしでオヌヌメしたい映画でございます。
【感想(ネタバレ)】
世の中には2つの「ウソ」があるのをご存知ですか?

「優しい」ウソとそうではないウソ
ナンシーは確かに「ウソつきな女」です。ただ彼女は「なぜウソをつくのか」これを考えてみるとですねー、なんだかもう「ナンシーに感情移入」してしまったといいますか、必ずしもウソつき=悪人ではない、というのがこの物語のキーなのですよ。
彼女はフリーマン夫妻の娘ではないことは、これは「事実」で夫妻に話した幼いころの記憶もツリーハウスの過去もあんなの木の跡からいくらでも推測出来ますし昔誘拐されたかもという話も「真っ赤なお鼻のウッソだよ〜♫」でございます。
ではナンシーはそんなフリーマン夫妻に娘だとウソをつき近づいて一体何をしたでしょうか?答えは「何もしていない」です。金銭を盗もうとか悪事を働こうとか彼女はフリーマン夫妻にウソをついただけで何もしていない。ではなぜウソをついたのか?

30年間も行方不明のまま愛する娘を探し続ける夫妻を偶然TVで見て「いてもたってもいられなかった」からではないでしょうか??こういうのは“偽善”かもしれません、しかし確かに彼女の中には「悲しむ夫妻を助けよう」とどこかそんな一途な想いがあったのでは?そして実の母が病気で亡くなった「悲しみ」と想いが重なりナンシーは夫妻の元を訪れたのです。彼女の「人助け」の場面は劇中ニ度登場します。一つは後半エレンと凍った湖を散歩中に突然見知らぬ男から助けを求められ負傷者の救助を行うシーン。そしてもう一つは序盤にジョン・レグイザモ演じる男と妊婦のフリをして近づいた時です。あのシーンはじめは何か詐欺まがいなものかと思って疑って見ていたのですが、、、、、しかしスーパーで男にウソがバレた時に彼女が言ったセリフ「アナタを救いたかった」という言葉。あの言葉はあながちウソではないんじゃないかとエンドロール後にふと思ってしまいました。娘を亡くし妻と疎遠になった男に彼女は「なんとかしてあげたい」という想いがあった。勿論そこにはナンシー自身も「孤独から開放されたかった」「愛されたかった」という感情もあったわけなのですが
そんなウソつきだけれども彼女の「人を救いたい」という想いに惹かれ、そして全てが全て偽装工作とは思えない(CG画像が瓜二つだったり失踪した娘とナンシーは大のネコ好きである点など)“偶然的な一致”を、もしかしたら“神さまが私達を引き合わせたのかもしれない”的な解釈をしナンシーとの出会いに「運命」を感じたエレンが言った一言

「“無条件”でアナタを愛してる」
これにはちょっとグッときてしまいましたねー。いやーまじでこらえるのが必死だった。“無条件”でですよ?DNA鑑定の結果“実の娘ではない”とわかっていたんですよ?ナンシーの辛い過去(それだって全てホントかわからない)優れた文才能力(それだってどこかのコピペかもしれない)そして彼女の中にある善な心に感化されて互いに愛するものを失った者どうし、もう血の垣根を超えて普通に暮らそうじゃないかと
まあ人が良すぎるというか確かにちょっと無理がある話かもしれません。けど30年間も探し続けて見つからない娘が“もうこの世にいない可能性”も当然夫婦は考えているわけで……そう考えるともうそれでも良かったんじゃないか、映画的にハッピーエンドでもいいのではないかとさえ思えてしまいました。
しかしナンシーは最後に夫婦の元を去ります。「無条件であなたを愛している」そう言われ思わず涙を隠しきれなったナンシー。この場面からも彼女が“悪人ではない”ことがわかりますよね。だからこそ、そこはやはり夫婦にウソをついたという罪の意識から夫婦と離れる選択をしたのです。DNA結果が出る間だけでも夫婦と“本物の娘”と接することで夫婦をせめてもの間悲しみから開放させてあげた、そして自分も一時だけ心優しい“両親の愛情”を受けられた、、、、、と考えれば必ずしも不幸な話ではなかったかもしれません。
しかしその“結末”はやはり悲しいものでしかないんですよね。「ウソで得た幸せ」とは、そういうものなのかもしれません…。
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