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ジャスティス・リーグ: ザック・スナイダーカット(2021)−ネタバレ−


【原題】Zack Snyder's Justice League

【監督】ザック・スナイダー

【出演】ベン・アフレック ヘンリー・カヴィル ガル・ガドットほか

【あらすじ】

スーパーマンの犠牲を無駄にしてはいけないと考えたブルース・ウェインはダイアナ・プリンスと組み、迫りくる脅威から世界を守るため超人たちのチームを作ることを決意。一筋縄ではいかない個性的なヒーローたちは、それぞれに過去を抱えながらも、チームとしてひとつにまとまっていくが……。








 

パート4「ノーチェンジ・荒っぽさ」



どーもどーも毎回美容師と会話してウケたか滑ったかをものすごい気にしますラーチャえだまめです。ハイというわけで前回書いてみて「全然肝心なところ書いていないじゃん」が判明致しましたので今回もこの「スナイダーカット」……(から早く開放されて次の映画を観たいのでさっさと終わらせまs…)



そりゃ4時間以上も使えばどんなに道端食っても人物相関図が描けるくらいには「深堀り」できるのは当たり前っちゃあ当たり前なのですがー?先述した影の薄かったフラッシュやサイボーグのほか、エイミー・アダムス演じるロイス・レインにダイアン・レイン演じるマーサ・ケントと言った「チームS」の面々も、あまりの影の薄さに完全にキャストの宝の持ち腐れだった前作とは打って変わり「愛する者を失った」者として、まだ立ち直れずにいる苦悩だったりそういった残された者たちのドラマが?エイミー・アダムスとダイアン・レインの“名演”というカタチで実現出来た部分で大変大きいんじゃないかな、と思いました。ただ「ただ横にびよーんって伸ばせばいい」というワケでもなく、正直ここは削っても良かったんじゃないかなというシーンもあったのは歪めません。



難しいんですけどね。「長編にする意味」そこをしっかりと本作が担っていたのか否か……私としては「前作よりは抜群に良い、けどもうちょっとカットしても良かった」が本音であります。また先に行った“深堀り”ですが、“見せる所は見せる、ただ見せない所は尺が伸びても見せなかった”と言いますか、脚本のアラが全く解消されたワケでもないかなと、、、、、「映像で語る」ことをモットーとするザックのスタンス的にはここまでが限界と言ったなのかもしれませんが…。



「オータムに捧ぐ」……エンドロールに流れるこのテロップ。オータムとは2017年に亡くなったザック夫妻の娘の名前。本作で印象深かったのは、追加撮影されているとは言え2016年の時点で本作の撮影はすでに終了されているのにこの「愛する者を失った悲しみ」という面がこのスナイダーズカットではより強調されていたと言うか、今作の根底にあるテーマになっていたとうことですよ。まあ「スーパーマンの死」は前作からあった話ではありますが



ただスーパーマンはどこか「キリスト」的な、マザーボックスの力のおかげとはいえ「不死」的な超神秘的な存在であって、、、、あくまで我々一般ピーポーとは別格すぎる存在ですよね。それよりスーパーマン以外の登場人物たちが「誰かしら愛する者を失っている」ということを今回再確認させられたというか



言わずもがな両親を殺されたバットマン、パイロットの恋人を失っているワンダーウーマン、アクアマンは母親フラッシュは言及こそないが殺された母親にその罪を着せられた父親、サイボーグも母親を事故で亡くしていて、、、、ロイスにマーサ、そしてサイラス・ストーンも……みなそれぞれ大切な者を失っている。中でもフラッシュことバリー・アレンにが特にその一端を担っているような



 

パート5「王者のサントラ」



はじめバリーは母殺しで捕まった父の無実を証明しようと自分の“時間”を犠牲にしていました。バリーは父を救うことだけを考え自分の人生は二の次、「立ち止まった」ままでした。それを父に非難されていましたよね。「自分の人生を生きろ」と。それがエピローグで変化します。父との2度目の面会で彼は警察の科学班に無事就職して、それは勿論父のためでもありますがようやくマトモな職に就けたという意味でバリー自身の「人生」にも大きな変化が訪れることにも繋がりました。「父を救う」ということだけに囚われ止まっていた彼の人生が結果的に「一歩前進」したのです。この「一歩前進」=「未来に進む」。これがクライマックスにもリンクしているように思えました。彼は世界崩壊の危機を救うため「時間を巻き戻す」驚きのワザを披露しますが、「時間を巻き戻す=過去に向かう」という意味ではないんですね。ちょっと説明しずらいのですがフラッシュはあくまで“高速移動”ができる、それはつまり“先に進む”ということ、先に進みまくって次元を超越して“時間を巻き戻した”わけです。つまりバックじゃないんです。「未来に進んで」いるのです。人生に立ち止まること。それは愛する者を失ったときにも起こります。本作はそんな人生に「立ち止まって」しまった者へ、「それでも未来に進もう」というメッセージが込められているじゃないかな。そしてそれはザックが愛娘の死という深い悲しみから映画製作のみならず人生を「立ち止まった」自分自身に、そう言い聞かせているようにも見えました。



「vsスーパーマン」よりハンス・ジマーと共同作曲を経て今作で楽曲を担当しているのがジャンキーXLことトム・ホーケンバーグ!!今作では実名でクレジットされていることもあり一瞬「アレ?」となりましたが、曲調を聴いてすぐに彼だとわかった方も多いのではないでしょうかー??ちなみにジョン・ウェドン版はこちらも名作家ダニー・エルフマン……なのですが。「荒々しさ」で言えば「怒りのデスロード」で自身もギターからファイヤあああああー!!しちゃったトム・ホーケンバーグのスコアの方が迫力があって個人的には今作のほうがサントラでも軍配が挙がるかな〜。ちなみにワンダーウーマン、バッドマンのテーマときて今作でついに3人目のフラッシュのテーマ曲が作られました!!日本配信前から既にYouTubeに挙がっていて視聴したのですがこれまた最高にクールでもう視聴する前からずっと劇中のどこで流れるのか勝手に妄想しながら楽しみにしていたのですがやはりクライマックスの「俺TUEEE」モードで流れましたか……いやー単独作でもこの曲使って欲しいなァ・・・。





 

パート6「サノスっぽい何か」



前作と今作との最大の違い、それはステッペンウルフを上回る「大ボス」の存在……「ダークサイド」の登場ではないでしょうか??これはDCファンの皆さまには感極まる瞬間と言っても過言ではない??長らく実写化を待ち望まれていたヴィランの一人であることは言うまでもなく……まあ個人的にはDC格ゲー「インジャスティス2」という洋ゲーで初めて知って嬉しいっていうより




















鋭角直角ビームッ!!!








が拝めたとこが一番感動でしたね。日本ではまぁ見た的にどこか“より石頭になったサノス”感アリストテレスな、しかし世界のハーフサイズを目指すサノスの生優しさとは程遠い銀河にはびこる感覚のある「全生命体の征服」という例えるなら全社員の精神を制御して意のままに操ろうとする全宇宙の悪徳代表取締役社長……そしてダークサイドはその征服を可能にする「反生命方程式」という公式を持つマザーボックスを手に入れようとしていた……というのが“本当のシナリオ”だったと言うわけでした。



にしてもなぜ前作でコイツを登場させなかったのでしょうか?そしてコイツの不在により「ダークサイドの命を受けたステッペンウルフ」という行動心理が前作では薄れてしまい何がしたかったのかイマイチはっきりしませんでした。しかし今回ダークサイドの登場でステッペンウルフの背景もようやく描かれるようになり物語の説得力もバツグンにアップ。また前半の記事でもお伝えした“新キャラ”情報ですが、今作で一番の“胸アツ共演”として話題にもなった、本作のために追加撮影までして実現させた「バットマンとジョーカーの共演」……う〜ん正直「スースク」にもバットマンが一瞬カメオ出演しましたが、ハーレークインとの絡みはあれどこちらももう何代目かさえわからいないジョーカーとの絡みはほぼありませんでしたからね〜。ベン・アフレック版バットマンと“ようやくか”と言った感じでしたねぇ。



演じるジャレッド・レトは数本の契約のはずだったジョーカーという役が「スースク」1本で終わりそのあとホアキン・フェニックスが「ジョーカー」でアカデミー賞獲ったもんだからアタマにきてDCからマーベルに乗り移ったってウワサでしたが……結局その乗り移ったマーベルで新たに演じた「モービウス」がコロナで未だ公開の目処立たずの先延ばしにされちゃって……でやっぱりジョーカーに戻りますってか?短いカットでしたがエピローグの最後に出てきてこれはバットマンとは別撮りだったのかな?2人が同じ画面に映るシーンこそありませんでしたがまぁこれは“共演”ということでよろしいでしょう!?



















これ地味にゴイスーなこと発してるんですよ。あのどんなに悪党でも“命を奪う”ことを禁じていたバットマンが?「キル・ユー」って言ってるんですからね。これにはジョーカーもビクビク痙攣しちゃってるじゃないですか…!?しかしこれは何もバットマンにキルされる恐怖に怯えているわけではなく、どんな悪党でもキルしないというバットマンの鋼の信念=正義心をこれまでずっとゆるりをかけ“闇落ち”させようと楽しんできた“遊び”の終了宣言だったからですよね。と言ってもそれはノーラン版「ダークナイト」の方がよっぽど深堀りして描いておりまして、正直ザック版のバットマンは「VSスーパーマン」でスーパーマンをキルしようとしてたし残酷なイメージが強くてあまりそこに説得力は感じられませんでした。ただ「VSスーパーマン」の終末のシーンでバットマンが銃で人間を普通に撃ち殺していたのにものすごい違和感を感じていたのですが、この今回の発言でその違和感がようやく解消されました。この時のバットマンにはもう世界の破滅を食い止める使命はあっても“正義心”というものはなくなっているのかもしれません。



































あ、嫌です。








マーシャン・マンハンター!!!……エム&エムかよ!!ジャスティス・リーグ創設メンバーの一人で生粋の火星人…うーんただ見てるだけかよッ!!そんなお前は今日からマンボウ田中……





ほかにも“ブラックスーパーマン”とかラストに登場するデスストロークが「バットマンを○す」気満々でいて次のシーンでバットマンの仲間になってるツッコミ展開など語りたい所ではございますが……先日職場の先輩もパート2まで観て48時間のレンタル期限過ぎてまた借りる羽目になったと嘆いておりました、私もはっきり言っていいですか先週からもうずーっとコレ書いているんですよね「もうこの辺で終わりにします。」…ありがとうザック・スナイダー!!ありがとうジャスティス・リーグ!!!ここまでサイトが重くなったのも久しぶりだよ!!今作を最後に今の所“続編の予定はない”と豪語しているザックですが……我々は何度でも言う!!ほかの誰でもない「アナタの作るDC映画が観たい」のだと!!!


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