ゴジラ-1.0(2023)
- ラーチャえだまめ
- 2023年11月10日
- 読了時間: 9分

【原題】ゴジラ-1.0
【監督】山崎貴
【出演】神木隆之介 浜辺美波 山田裕貴ほか
【あらすじ】
タイトルの「−1.0」の読みは「マイナスワン」。舞台は戦後の日本。戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現する。ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とす。戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探っていく。(映画.COMより)
【感想(ネタバレなし)】

『「自己犠牲」を美徳とするのはもう古い』
どーもどーも先日腹を下してケツ穴オキシジェンが見事にデストロイヤーしたラーチャえだまめです。そんな本日はコチラの映画を拝見させて頂きました
【ゴジラ-1.0】!!!GOD……ZZZZZZZZZILLA!!!ついに公開された我が国ジャポンの世界に誇るお家芸的特撮「ゴジラ」の最新作____てまだまだ記憶に新しい「シン・ゴジラ」がもう“7年前”という衝撃……そんなゴッテム!?いやーまた新作をやると聞いた時“正直不安”を感じてしまいました。いやディスるわけじゃないけどさ…。
あの内閣総辞職ビームを生み出した「シン・ゴジラ」を“超える”ゴジラMOVIEなんて……ハム太郎くらいしか思いつか、あまりに想像がつかなかったから。しかも今度の監督はサンチョメサンチョメ、ワァ〜オこと「三丁目の夕日」の山崎貴監督だって?(FANの方ゴメンナサイ)いや〜これは不安でしかない
……とか思ったんですけど?考えてみれば「エヴァ」の庵野秀明監督が「シン・ゴジラ」をやるって知った時だって「あの庵野さんが?大丈夫かな…」ってなったでしょ?結果どうよ?メチャクチャ良かったじゃん??で今度は「あの山崎さんが?大丈夫かな…」結果どうよ

メチャクチャ良かったのよ
「シン・ゴジラ」でお腹いっぱい……なんて思ってスミマセンどうやら私“別腹”でした(汗)「ゴジラ-1.0」!!!はっきり言います「“コレ”はまた“アレ”と違って全然アリアリヨォ〜!!!!」庵野監督が描いた“ゴジラ”とはまた違う、いや正直“もう飽きた”とイワンコフな方もいることでしょうDon't Worry蒲田くんの記憶をリセットする必要すらない「またしても新鮮な気持ち」でゴジラ映画を楽しめると断言しましょう!!「三丁目の夕日」の冒頭でゴジラを登場させ鈴木オートを大破させるだけでは飽き足らず西武園ゆうえんちの「ゴジラ・ザ・ライド」の総合演出も手掛ける業界随一の“ゴジラ好き”として知られるVFXの魔術師、山崎貴監督の迸る“ゴジラ愛”そうそうやはりゴジラを愛する人でなければ“爬虫類映画”になってしまいますからね!?そこへ山崎監督の“主戦場”こと「昭和」な世界にまたしても我々視聴者をブチ込むというマジックカード「エクセントリック三丁目」発動で見事に現代を舞台にした「シン・ゴジラ」との差別化に成功しているばかりか?「ゼロが“マイナス”になる___」謳い文句にもある戦後の“敗戦国ニッポン”という絶望の淵に立たされていた時代に?さらにさらに“追い打ち”というカタチでゴジラが降臨してしまう某ゲームのキャッチコピーを拝借して「どうあがいても絶望」___まさにそんな「最悪の時期に最悪の存在として最悪な状況を生み出す」最も“最悪”なゴジラ__!?

とは言いつつ「シン・ゴジラ」または近々AppleTVでドラマデビューも果たすレジェンダリー版「GODZILLA」との比較をしなければ今作の面白さが伝わらないと思いますのでネタバレしない程度に申し上げますと____
「シン・ゴジラ」のギョッとするほどキショい深海魚からゼンマイ仕掛けの玩具のような野村萬斎からすり足を会得したかと思えば口がグワッと裂けちゃってもうゴジラの原型ないじゃんレベルの“変化”に驚かされた「気味悪さ」の“庵野流”と違い、“山崎流”ゴジラは?「イケメンだけど怖い。」顔は今回メッチャハンサムなのです!!“イケメン不良青年が血も涙もないサイコパスだった”と言いましょうか、今度のゴジラもなぜ日本を襲うの?“何を考えているのかわからない怖さ”ならびに“何を仕出かすかわからない怖さ”の両面を持つ、文字通り“イケてるのは顔だけであとは全てが最悪”という!予告動画でゴジラの顔を観た時あまり武者震いしなかったのですが、スクリーンで“動く”姿を観てそれが間違いだったと確信しました……また“アングル”が凝ってて、見上げないと見えないゴジラが、わざわざ視線をコッチに下ろしてきて

「人の目を見てから◯す」
「ジュラシックパーク」のTレックス登場シーンを彷彿とさせる!?そう“恐竜っぽい”感じもありましたね!
また海を渡った「“モンスター”バース」のハリウッドとは違い、日本のゴジラは人間ドラマをむしろ全面に押し出したりゴジラを自然の脅威の象徴、戦死者の怨念の写し鏡とゴジラ自体に“神”的な意味を含ませて、物語にも「深み」を持たせるじゃん?面白いのがローランド・エメリッヒやギャレス・エドワース監督が「モンスターズ」でやったのと同様、ゴジラを“生物”として人間の“保護下”に置いてコントロールして時に“共存”の道も視野に入れているのに対し、「シン・ゴジラ」から始まった邦画のNEWゴジラは議論するまでもなく「撲滅」一択で、徹底的に駆逐しようとする点。今作もゴジラに果敢にも戦いを挑む人々たちの姿が描かれます。ただし「シン・ゴジラ」とは違って今作は「非常にわかりやすく、見やすいストーリー」となっており、「シン・ゴジラ」が難解でついていけないという方でも?老若男女楽しめる大衆映画としての側面も非常に強かったです!!

帰還兵の主人公、敷島少尉を演じる神木隆之介を筆頭に浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ等豪華俳優陣が集結。個人的に佐々木蔵之介演じる艦長の秋津の「こんな船乗り“ジブリ”にいたよな」感がすごい。この人こんなにジブリ顔だったんだ……
そしてキャストが「誰一人嫌気なヤツがいない」ここが薄っぺらいと感じるか否かでまず評価が別れると思います。いや個人的にはキャラクター全員と我々視聴者が、皆が“同じ方向を向いて槍を向けている”映画も嫌いじゃない。本作で言うならば、その槍の先にいるのがゴジラであり、ゴジラ討伐を民間に丸投げする大日本帝国という“政府”もゴジラと同じ方向にいるのではないか……
今回政府がまるで役立たずで「民間だけでゴジラと戦う」……日本政府が総力を結集してゴジラと戦った「シン・ゴジラ」とは対になるその最たる部分がココかと思います。しかもここが今の時代、“現代”へのアンチテーゼというか「国に頼るな自分たちでこの未曾有の危機を乗り越えろ」というメッセージだと私は捉えました。いつの時代も政府は……何もしちゃくれない(……のか?と思っちゃう)そんな中「誰かが貧乏クジ引かなきゃならねえ」……重い。想像以上にこのセリフがズシンと重くのしかかってくる。ちなみにこのセリフは「シン・ゴジラ」の次を託された山崎監督自身の自虐ネタとも…?
そんな舞台は戦後、しかし今作のテーマは間違いなく「令和版ゴジラ」だなと吠えざるをえないと言いますか?“「自己犠牲」を美徳とするのはもう古い”あえて戦後の日本を舞台にすることで、お国の為にだとか誰かの為だとか言う前にまずは自分を大切にしろ___昭和の“古い思考”に未だ縛られてはいないか、もういい加減“今”に思考をシフトしようと、ということを再認識させられると言いますか、現代を生きる人々への強いメッセージが込められているのです!!
そしてこれまで“お涙頂戴”映画を量産してきた山崎監督が「64」か「ドラ泣き」くらいから「クドい」「わざとらしい」と一部批判され、良くも悪くもある意味“ステレオタイプ”な映画を撮ってきた人が?今作でステレオからの脱却を狙ったような?昭和という舞台設定自体は変えず、その中身だけを現代風にブラッシュアップした……その“答”が本作と言ってもいいかもしれませんッ!!
↓↓ココからネタバレあり↓↓
【感想(ネタバレ・考察)】
■典子の首の黒い跡
てか典子生きてたんかーい!!どう考えても瓦礫と一緒にふっ飛ばされて生きている訳が……しかも顔半分包帯くらいの軽症で済んでやがる!?これじゃ綾波じゃないか!!否「仮面ライダー」で綾波イメージの浜辺美波だからこの程度で済んだのか……いやいや(汗)そう、どう考えてもおかしいのですよ。“彼女が生きている”これ自体に“意味”があるとしたら…?この考察に信ぴょう性を持たせるとしたら、やはりそれは一瞬映りこむ彼女首筋の“黒い刻印”のような謎の跡でしょう。ズバリ“G細胞”に典子が侵されていることの暗示なのでは?G細胞とは「VSビオランテ」で初めて登場した、その名の通り“ゴジラ細胞”の略で、その細胞は“驚異的な再生能力”を有しており、ゴジラはこの細胞で半ば不死身の存在として君臨しえた、というもの。今作でもこの設定は踏襲されております。つまり典子の体にこのG細胞が入り、驚異的な回復能力で復活を遂げたのではないか。またゴジラの銀座襲撃後のシーンで被害現場で“ゴジラの肉片らしきもの”が落ちてる、というニュースが流れるんですよね。よってあの現場周辺で被害にあった人の中に、典子と同じくG細胞に感染→復活を遂げた人がいたのかもしれない??でもこのG細胞、ゴジラ以外の生物に注入して生まれたのが“ビオランテ”であるように、人間が感染したってタダでは済まないであろう。つまり次回作で典子が…?
■ラストは「大怪獣総攻撃」のオマージュ
ゴジラの最期は爆薬を積んだ戦闘機による“顔面破壊”という、なんとも呆気ない?ものでありましたが、身体がバラバラになって海のモクズに……がラストで“肉片からまた再生を繰り返す”シーンで終焉。あの“肉片だけでも生きている”という不気味さが?まんまシリーズ25作目、2001年に公開された「この国は怪獣だらけだ〜!」でお馴染み「大怪獣総攻撃」のラストと同じなんですよね。深海で心臓だけになってもドクンドクンとまだ生きているという……確か当時親と劇場で見てそのおどろおどろしさに戦慄と興奮を覚えました。この「大怪獣総攻撃」が山崎監督はお気に入りらしく、そのオマージュだと言われているんですね。ほかにも序盤の大戸島襲撃で整備士たちが惨たらしく死んでいくシーンや銀座上陸で逃げ惑う沢山の人々が容赦なく踏み潰されたり吹き飛ばされるシーンは「大怪獣総攻撃」の金子修介監督が同じく手がけた「ガメラ」シリーズ最終章「ガメラ3」を参考にしたよう。確かに渋谷の街が火の海になって人々が吹き飛ばされる「ガメラ3」の残酷さは、怪獣映画としてはかなり「大人」な味付けで、本作でも直接的な描写こそ少ないですが、子どもが見たらちょっと刺激が強すぎるシーンかもしれません。
…以上のことからゴジラは「まだ許しちゃくれない」次回作への伏線まで既に織り込み済みか?欲を言えば最後ENDタイトルの「−」がなくなって「ゴジラ1.0」のタイトルが浮かび上がり「ハッ!?そういうことか…!?」って次回へ続く、なんてオチまで期待してしまったのですが……。
今回の“ワダツミ作戦”が「島国」らしさ全開で、まさに日本人が考えそうな作戦だなと?てかクライマックス「ダンケルク」ですやん!!と一人テンション爆アガっておりました。ラストは確かに賛否両論あるのは激しく同意。だけどあそこでもし敷島が特攻して自滅の道を選んだとしたら、個人的にお涙頂戴の「アルマゲドン」オチは、それこそステレオタイプの最たるものだし、逆に敷島以外の乗船した者全員ゴジラにやられちゃう、めちゃくちゃバッドエンドにして、さあ果たしてどの層が観に行くのか……と考えると、あれが一番ベストな「塩梅」なんじゃないかと思いましたね。もう誰かを失って得る感動は古い。みんな笑顔で生き残ってENDが、多様性の時代とも相まって一周回って新鮮…じゃないですか??
それだけ「大衆映画」を作るって難しいんだろうなーとも思いました。そういう意味では今回山崎監督のやりたいこと×大衆が求めるもの、この両方をうまく料理して結果“どの層にもウケがいい”そんな映画になったと思いますねッ!!現に初動売上で「シン・ゴジラ」を大きく超えた超絶好調スタートということですので、アニメ続きの邦画史に新たな歴史を刻めるか…??
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