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コールド・スキン(2017)


【原題】Cold Skin

【監督】ザヴィエ・ジャン

【出演】デヴィッド・オークス レイ・スティーヴンソン アウラ・ガリードほか

【あらすじ】

新任の気象観測員として孤島にやってきた青年フレンド(デヴィッド・オークス)。島の住人は変わり者の灯台守グルナー(レイ・スティーヴンソン)だけかと思われたが、夜になると人ではない異形の生き物が大群で押し寄せてくる。異様な光景にがくぜんとしたフレンドは、グルナーと共に灯台を要塞化して謎のクリーチャーと命懸けで戦う。(Yahoo!映画より)




 
【感想(ネタバレなし)】

『灯台守はつらいよ?』

 




どーもどーも幼少期に地元のスイミングスクールに4年通い続けましたが一度も25m泳ぎきれませんでしたラーチャえだまめです。…ハイというわけで今日はコチラの映画【コールドスキン】というですね「半魚人だよ全員集合〜!!!」っという映画を観させて頂いたわけなんでございま駿河湾



“人は何のために生きるのか”生きる「目的」が無ければ、どんなに健康的なパーフェクトヒューマンであろうとも精神が病んでしまうのは今も昔も変わらない、ということをどこか痛感させられてしまった、と言いますかヒジョーに考えさせられる映画なんじゃないか……なんて思ってしまったんですよぉ〜⤴ではさっそくあらすじからお話ししますよぉ〜⤴



時は1914年の大航海時d……一人の灯台下暗しことフレンドという青年が“気象観測”のため文明社会から恐ろしく遠く離れた無人島で“1年間無人島生活”の任につくところから物語はスタートしまs…とったどおおおおおおおお!!!……えまだ早い?まだ早いっt…



灯台には前任の担当者がおりました。名を“グルナー”と名乗るおっさんは服も着ないでベッドに横たわり見渡す限りプー太郎の部屋のソレと変わりない改めて“1年”という月日の長さを痛感させられるフレンド。演じるは曲がったことは大嫌い、でも曲がった鼻を鉛筆突っ込んで治しちゃう三代目パニッシャーのレイ・スティーヴンソン!!「マイティ・ソー」の三銃士の一人でも見せた大柄な巨漢役もいいですが「ランペイジ」や「トランスポーター/イグニッション」で見せたビシっとキメたちょい悪風オヤジスタイルも健全な俳優さんでございます!



その夜灯台から少し離れた小屋でのんきに読書タイムにふけっているフレンド。すると外から“何者か”の足音が聞こえてくるようになり……フレンドは悟った
















「この島は怪獣だらけだあああああああああああああ!!!!!」by大和田伸也






ソンゲバソナ!?無人島だと思っていた島は夜勤明けの半魚人のパーキングエリ……ダーウィンの進化論を真っ向から否定する怪物の大群により今まさに占領されつつある孤島だった__!?こうして1年間“戦わなければ生き残れない!?”ことを悟ったフレンドは非協力的な灯台守のグルナーと“奇妙な共同生活”を強いられることになり、グルナーから怪物との来るバトルロワイヤルに備え“ムサシミヤモト”の精神論に則り闘いのイロハを身を削って習得させられるハメに__??



「ディセント」の地底人にも似ている全身青白い姿の半魚人スタイルの怪物!?しかも隠すことなく真っ昼間からご登板とはB級クリーチャーファンには嬉しい仕様!!半魚人映画と聞いて“B級版「シェイプオブウォーター」”としての臭いもクンカクンカしてしまいそうではありますが類似しているのはそれだけではございませんギレルモ・デル・トロの「パンズ・ラビリンス」などでクリーチャーデザインを手がけたアルトゥーロ・バルセイロ氏が今作で半魚人デザインを担当しているんですね〜!!よって特殊メイクも余すことなく堪能できて毎晩灯台に襲撃してくる「ピッチブラック」のヴィン・ディーゼルの手も借りたい怪物たちとの壮絶な死闘も見どころとなっております!!それゆえ“B級クリーチャー映画”としては勿論楽しめる内容となってるわけなんでございますが



本作はただの“B級モンスター映画”の中に“反戦映画”のような意味合いも含まれてるんじゃないか??とも思えてなりません。







 
【感想(ネタバレ)】




冒頭フレンドの語りの中で自らが無人島に送られるのは“気象観測の為に〜”と語られますが、グルナーの出会いにより灯台が「軍がまたカネを貰うため予算を使い切る目的で建てられた」事実だと知らされます。よく考えてみてくださいよ朝のお天気コーナーで「今週の無人島の天気は晴れる日が多いでしょう、絶好の海水浴日和……あ、誰もいないんだっけアハハウフフ♡」なんて見たことあります!?無人島の気象調べて誰得だよ!?でも灯台作っちゃったら、一人くらい現地に派遣させなきゃワリに合わないじゃないですか?だから彼らは派遣されたのです。つまり彼らがあの灯台を守る理由、彼らがあそこに留まる明確な理由が「ない」のです。理由がないの文明から遮断された無人島にたった一人放り込まれる。それはそれは想像を絶する辛たん状態であります。そうなれば必死に自分が灯台に居座る理由、“灯台守として存在する理由”作りをしないとマトモな精神保てなくなってくるじゃないですか?事実をねじ曲げ“偽りの理由”を作りました、それが「怪物を根絶やしにする」ことだったのです。



そして幸か不幸か、偶然にも網にかかった怪物の一人を発見し、“彼女”を飼いならし奴隷のように服従させるグルナー。化物が襲来する理由は彼女にあることもおそらく知っていたのでしょう、知った上で彼女を捕虜にし“エサ”にすることで化物の大量虐殺を計画していたのです。フレンドが彼があそこまで怪物たちを目の敵にして根絶やしにするのは仲間の“アルドール”が怪物に殺されたその復讐だと思っておりました、私もはじめはそう思いましよ、しかし実際はそうじゃなかった。グルナーは人間より文明的にも“劣った”存在である怪物たちの上に立つ事で理性を保とうとしたのです。“孤独”という負の感情により自分の心に溜まったストレスやネガティブな感情を、自分より弱い存在へぶつけて解放させようとする、弱い者が弱い者を虐める負の構図。さらに怪物と共に生活するうちに祖国に残した妻と怪物をダブらせ性行為にまで及ぶように…。



全て“孤独”が生み出したワケですよ。グルナーだってきっと島に来たばかりの時はフレンドのように“正常”な人間だった事でしょう。それが素っ裸で寝転び灯台の上で放尿し“非人道的”な行為まで手を染めもう後戻りが効かない状態にまで落ちた認識があったからこそ、今更人間社会に戻れねえ!!と国に帰ることを拒否し続けたのではないでしょうか??そしてそんな自分は自分ではない=アルドールが“グルナー”という別人に名乗っていたのはどこかに“本当の自分はマトモだ”という事実を残したかったからではないでしょうか。



環境が人を変える、人間、いや生き物の“脆さ”をしみじみと感じる作品でしたねー。“「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。」byニーチェ”の言葉で冒頭始めるのも納得でございます。そして「その環境を作ったのは誰か?」ココなんですよ。舞台となった1914年は第一次世界大戦が起きた年です。それはつまり軍事にカネかけて戦争をおっぱじめようと目論む国、あるいはその国が囚われている「戦争」ではないでしょうか??フレンドもグルナー=アルドールも、怪物たちも、全て“戦争の犠牲者”と捉えられませんか??ラスト今度はフレンドが“グルナー”を名乗ります。そこへ後任を連れやってくる軍人。そしてフレンドの目に映るのは広大な海に何艘も浮かぶ軍艦。再び繰り返される悲劇を暗示させます。同じくそれを見た怪物が走りながら海に飛び込み海底に消えていくラスト。彼らの生活環境はまた脅かされる事でしょう。まさしくそれは文明が先住民を根絶していった歴史を象徴しているよなぁ〜、タイトルの意味「冷たい肌」とは青白い怪物の肌でもあり、そんな怪物よりよっぽど冷酷で残酷な生き物になり得る我々人間のことでもあり、彼らが戦争を仕掛けるその“環境”そのものも指しているのではないでしょうか??原作を読んだことがないのでアレなのですが、ただのB級と思ったら意外とよく出来ているなぁ〜、という映画でしたねッ!!







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