ハウス・ジャック・ビルド(2018)
- ラーチャえだまめ
- 2019年6月23日
- 読了時間: 6分
更新日:2019年6月25日

【原題】The House That Jack Built
【監督】ラース・フォン・トリアー
【出演】マッド・ディロン、ブルーノ・ガンツ ライリー・キーオほか
【あらすじ】
1970年代、ワシントン州。建築家を夢見るハンサムな独身の技師ジャックは、ある出来事をきっかけに、アートを創作するかのように殺人を繰り返すように。そんな彼が「ジャックの家」を建てるまでの12年間の軌跡を、5つのエピソードを通して描き出す。
<感想>

『テレ朝もビックリ“魔改造 劇的ビフォートリアー(笑)”』
な、なんということでしょう〜。どーもどーも“シンプル”なラーチャえだまめです。今日はマスク姿のライアン・レイノルズも思わず「マジ狂ってる♡」と言ってしまいそうな奇想天外、トンデモビルディングをしようとした殺人狂の12年に及ぶ物語を「5つの出来事」にまとめたカンヌ正式上映、途中退席者とスタンディング拍手の嵐!?の超絶問題作【ハウス・ジャック・ビルド】!!!いやー私クソ真面目にスクリーンで見るのはこれが初めてかもしれませんラース・フォン・トリアあああああああ!!!!……「アンチクライスト」とか「インフォマニアック」とかとにかく意味わかんねえ映画ばっかり撮る“鬼才”と評される監督でありますが、カンヌでヒトラーを賛同するかのような発言をして“出禁”を喰らい今回7年ぶりのカンヌ復活……この時点でもうヤバい。で、今回そのカンヌでも上映されなかった“18禁バージョン”を何故かここ日本で上映されるという……の時点でもヤバい。しかし“シリアルキラー”をテーマに〜というタレコミにも惹かれ今回本格的に世界3大珍監督“トリアーデビュー”することになったのでありますが_____

まぁ終わったらパンフレット買うよね(笑)
1970年代のアメリカ(ちなみにアメリカではありませんスウェーデンです)に住む一人の技師ジャック。彼は道中クルマの故障で助けを求める女性に遭遇した。女性の名はユマ・サーマン。彼女はウザい(監督いわく)「アナタ殺人鬼みたいな目してるわね!」やっぱこいつウザい。その後もガミガミ好き勝手言ってきて私の面倒見てよとでも言いたいのか、とにかくジャックは苛立っていた。「さっきはごめんなさい。殺人鬼だなんて言って。」

エグザクトリぃぃぃぃ!!!!!
またまた、、、、これは一体何と言っていいのやら、とても映像だけ見ただけでは理解するのが難しい作品であります。今作をご覧になった方々の大半がラース・フォン・トリアー監督のファン、だと思っていいですか?故に彼の過去の作風からどうのこうの、“彼らしさ”的なことは一切申し上げられませんが、確かにこれは賛否両論別れるでしょうね、という内容で“シリアルキラー”自らが語り部となり、自身の心の内を我々に覗かせてくるスタンス。しかし“シリアルキラー”の物語だと知って見に行く我々の予想の遥か彼方の銀河系に吹き飛ばす、急に“コメディ”だったり今度は「300」のジェラルド・バトラーもビックリ絵画じみた“ファンタジー(?)”な世界へと我々を誘う__ヒジョーに一筋縄ではいかない。でもキライじゃない。キライじゃないよオレは。じゃなきゃ800円もするパンフレットなんて買うわけがない(笑)
<感想(解説)>
主人公ジャックを演じるのはキャメロン・ディアスを追いかけ回していた頃が懐かしいマット・ディロン。いやーあんまり変わりませんね!!相変わらずなイケメン!!今にも小杉十郎太ボイスで喋りかかってきそうな、但し今回“イケメン”であるコトすら利用してこれまで60人以上も殺人を繰り返してきた殺人鬼を見事に演じてますねー。もう目!!眼力!?不安そうな、怯えている、しかし楽しんでいるかのような瞳にも写る、彼の殺人鬼としての心情、ポリシー、そして無類の潔癖症と強迫性障害に悩まされ姿も見事でしたよね。特に「MIB」のレモネードおばさんの「第2の出来事」なんかもう、NHKの“18禁版「ライフ」”を見てるかのような「あれ、椅子の下ちゃんと確認したっけ?カーペットの裏は?」と何度も何度も確認しに戻る、強迫性障害がよくわかるシーンだから笑っちゃいけないんだろうけども、、、、いやありゃ絶対確信犯ですよ!!
正直あの話と最近カラダ張りまくりのライリー・キーオが今回またしても“張りすぎて”おっぱい切り取られて財布になるシーンは悪ふざけが過ぎるよ!!(笑)ただまあ、“悪ふざけ”と言ってしまえば、子役を銃殺した挙句、その死体で遊んじゃう「18禁って、“ソッチ”の方ね(´・ω・`)」退席者続出も納得のシーンの数々も、ジャックの被害者が女性だらけで「このバカチンがぁ〜!!とライリー・キーオに暴言を吐く女性を馬鹿にしたようなシーンも、これといって何か意味があるのかとか、「ジャックは自分の“パーツ”の一つ」と語ったトリアー監督の性格を表しているだとか、たぶんそんな事はなくて(この作品に現実が反映されていることはないと監督は言っている)あくまで“フィクション”だから、やりたい事を規制線を貼らずに余すことなく表現したかっただけ、つまりそこに深い意味はなく、ただの“お遊び”の延長のようなものに過ぎないのかも。。。。(それが問題なのだがw)

タイトルの“The House That Jack Built”は一節ごとに歌詞が長くふくらんでいくマザー・グースの“積み上げ歌”を引用したもので、以前から夢であった「マイホームの建設」がなかなか上手く行かず、なぜ上手くいかないのか?それはマイホームにふさわしい“材料”がないからだ、とそこへジャックの精神世界のもう一人の“観察人”であり、ツッコミ担当(笑)ブルーノ・ガンツ演じる“ヴァージ”から「その死体を材料にしてみたら?」と的確過ぎるアドバイスを貰い、警察が迫りくる中ついに彼の目指した「夢のマイホーム」が誕生する……まさに“死体を積み上げ”て完成させた、彼が追い求めた究極のカタチ。マジ道化してるぜ!!
“ヴァージ”とは、イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの代表作「神曲」の中で、ダンテを導く詩人ヴェルギリウスを意味しており……なんて今初めて口に出したわ!!ラストはジャックが“地獄”に行く話ですよね。でもって崩れた橋の先に行こうと崖をよじ登って行ったら脚踏み外して地獄の炎に真っ逆さま〜。悪人であるが主人公でもある人物がラストに地獄に落ちる展開は、どうやらトリアー監督作品の中では珍しいことのようで?あの人力船(?)あのシーンは実はCGではなく実際に撮影されているらしいですよ。
ただジャックが時より見せる“大胆不敵な行動”、死体をズルズル道に引きずり回したり「オレは殺人鬼だぁぁぁぁ!!!」と突然叫び出す、「第5の出来事」で旧友に裏切られ「これでやっと…」と数々の出来事の中で彼は自らを“罰して”くれる存在をずっと待ちわびていたかのような言動をする。一応ジャックの“モデル”となった実在した殺人鬼(容姿が整っている、松葉杖姿など)“シリアルキラー”とは、“罪の意識”というものが欠如している者らしいけど、彼はそんな“罪の意識”を持っていたんですね。ただ“自覚”はしていてもアートだなんだ言って平然と人を殺し、反省する様子もない。劇中彼の脳内での“葛藤”のようなものも描かれるが、我々視聴者には到底“理解できない”思考回路で自己完結までしている。本作はまさにジャックという狂人と通して我々を“混乱”させる挑発的な映画、なのかもしれません。。。。。
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