TAR ター(2022)
- ラーチャえだまめ
- 2023年5月21日
- 読了時間: 8分

【原題】TÁR
【監督】トッド・フィールド
【出演】ケイト・ブランシェット ノエミ・メルラン ニーナ・ホスほか
【あらすじ】
ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命されたリディア・ター。天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、いまはマーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは追い詰められていく。(映画.COMより)
【感想(ネタバレなし)】

『このぉ〜音なんの音気になる気になる〜♫』
どーもどーもラーチャえだまめです。早速ですが本日はコチラの映画を拝見させて頂きました
【TAR/ター】サァーッ!!!……は愛ちゃんの方だった「タァー!!!」とはこれまた一体なんちゅうタイト、とコチラはあの世界的有名な指揮者“リディア・ター”の名前からとったもの……リディア・ター?(今なんとなく情熱大陸のBGMが脳内を駆け巡る)てゴッドたんヘラ姉さんじゃねえっすかああ!!!!…と言うわけで早くも「脅威の“憑依型”怪演」により“実在の人物”かと憶測まで飛んだらしい“キャリア史上最高の演技”と評されたお御所ケイト・ブランシェット最新作。今回は“音楽家”の話と言うことで?なんとなく“サウンド”が良い劇場案件かなーくらいの気持ちで観に行ったら

内容の8割が“理解出来ない”
壮大なオーケストラと奏でる指揮者の栄光と挫折?感動巨編?いえいえそんな単純な話では決してなかったジャンルは“サスペンスホラー”?……なんとも摩訶不思議アドベンチャー過ぎる映画、だったんですねぇ。
まず本作の為に作られたターというキャラクターですが、PRも兼ねた彼女名義の「アルバム」が実際に発売されたりと人物の「徹底的な“作り込み”」が凄まじい。これまで数々の役を演じてきたケイト・ブランシェットが今作でリハ1年にも満たずに“数十年トップに君臨し続けた女性初の指揮者”という難役を完全に演じてきっている。ブランシェットは本作の為に指揮者の動きからピアノ(元々幼少期に弾いていたらしいが)弾きを替え玉なしで実演、豪出身ながらアメリカ英語とドイツ語を完璧にマスター。英語とドイツ語を交互に使い分ける難しいシーンも見事に演じております。(ドイツ語だけ字幕が出なくて何言ってるかわらなかったけど)しかもそれを他2本の出演作と撮影を同時進行しながらやっていたというのだから監督から「一体いつ寝てるの…」と言われるのも納得であります。

周りに一切の“スキ”すら見せない「超完璧主義者」ゆえ、遠くの方で聞こえる玄関のベルの音やクーラーの風の音、必要のない“雑音”でさえ、ターの生きる世界ではその存在を“許されない”。あそこまで神経質じゃないけど私もああいうなんでもない雑音が気になるタイプだから気持ちはわかる。でもそうやって周りにピンピン気を張ってるとものすごく疲れるけど、ターはそんな疲れや弱みを我々視聴者自にさえ見せようとしない。自分に対してもそして「人に対しても」“完璧”を求めてしまう非情に厄介なタイプなんですねー。
今作に“挑む”大前提として「音楽の知識があるか」……“音楽”と言ってもクラシックやらJポップやら様々ですが、“広く浅く”ではダメなんですねー“広く深く”……かの有名な作曲家の名は?“ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団”知ってますか?知らないですよねー。そんな“音楽に精通している人の基準”でOPから映画がスタートしてしまうという?言ってしまえば“前情報がメチャクチャ必要な映画”と言ってもいいかもしれません。長セリフの会話シーンひとつにしても、聞き慣れないワードの連発で何を言っているのか全く理解出来ませんでした。それがずーっと約2時間ちょっと続く。わからないのは会話だけではありません“本作の「あらすじ」を読んでいないと物語の展開すらよくわからない”
リディア・ターはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団における女性初の首席指揮者であり、作曲家としても指揮者としても当代随一だと評価されていた。しかし、リディアはその地位によって得た権力を使い、若い女性音楽家に肉体関係を迫るなどのハラスメントを行っていた。リディアの妻、シャロンをはじめ周囲の人物は見て見ぬふりをしていたが、被害者の1人が自殺したことをきっかけに、リディアの蛮行を告発しようという動きが出てきた。キャリアの危機を前にして、リディアは徐々に精神の平衡を失い始める。(※ウィキペディアより抜粋)
この中の“若い女性音楽家に肉体関係を迫る”とか“ハラスメントを行っていた”等、それが“明確にわかる”シーンがない。確かに“ハラスメント”っぽいシーンはありましたよ。ただそのハラスメントも先に言った音楽の知識なしにはそれが“教育なのかただのハラスメントなのか”さえ理解に苦しむ。私には態度の悪い学生に対してただ論破している良い教師にしか見えませんでしたし(それが性差別?的な意味があったようで)そして今作に置ける最も重要な出来事“被害者の1人が自殺”ココ、ココですら「被害者が自殺したんだ」とちゃんと明確に語られるのは、それが起こってからずっとあと。もしあらすじを読んでいなかったら、被害者が自殺したんだ、という話すら“え、そうだったの?”と後から気づく、なんてこともあるかもしれません。そんな事前知識がなければ映画が始まってもその「スタートラインにすら立てず」そのままずーっと距離を離されていく映画って私“本当に嫌い”ですねー。ここまで読んで「なーんだ初見お断り映画か」と回れ右したそこのお方、安心して下さい「面白い」のはこの“あと”だったのです……。
ならば本作は知識量で観る者を選ぶ「意識高い系」のまま終わるのかい?いえそれがですね「ラスト5分」まで見てしまうと決して「そうではない」ことが判明してしまうのです。否、本作は「意識高い系」の皮を被った、しかしそれを「完全に否定」している「実はNO知識でも“フィーリング”で楽しむ系」おバカな我々(ゴメンナサイ汗)“サイド”に立った映画、つまり“我々の味方だった”のです…!!!ラスト5分で今作のイメージが180度ガラリと変わる。膨大な知識量で無知な素人を鼻で笑い「私はキミより知識があるからキミを“下”に見てもよい」と意味不明な解釈をして、「知識と実力=権力」と結びつけ「誰も知識と実力において私に敵う者はいない=私がこの世で一番の“権力者”」……いやマジよ?マジで今作のリディア・ターってそういう思考してんだからね!?そんな本作を理解できるか否かで“マウントを取りたがる人”こそ、まさしく本作におけるターそのもの。そしてターがラストで気づく本当の意味で“音楽を楽しむ”とは?そこに知識や実力は必要なのか?人は音楽を聴いて感動する。その感動は知識や実力の程度で左右されるのか。「アナタは私より知識がない。だからアナタの感動は私の感動よりも“下”」

「どんな音楽にも「優劣」は存在しない」。そして「感動」にも優劣は存在しない。拡大解釈すればそれは「映画」に対しても言えると思うのです。映画を楽しむ上で確かに知識はあった方が“より”楽しめるかもしれない。けど知識がないからと言って楽しめないわけじゃないでしょう?そこに強制力や権力と言った力関係は一切存在しないのに、人は何かと優劣をつけたがる。これ「◯◯◯を観ずにして映画を語るな系」ウンチク星人撃退映画でもあるんじゃないか?序盤でターに「そうだよなうんうん」と頷き共感しながら鑑賞していた人ほど、ラストの「どんでん返し」で逆にアタマポカーン状態になるかも?歓喜する素人の横で「バカにするなぁ!!」ってそのまま怒ってエンドロールで退場したりして……。
【感想(ネタバレ)】
ターが(教え子が自殺する前?)ランニング中に聞こえてくる悲鳴は「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の悲鳴を使っているという所からも“ホラー描写”にも力を入れられているのがわかる。夜中にメトロノームがひとりでに動いたり叫ぶ愛娘の元に駆け寄った際、娘が目の前にいる“何か”から身を隠すようにしてターに抱きつき、ターもまたそれに感づき咄嗟に後ろを振り向くとか、まさにホラーあるあるですよね。ただ今作におけるホラー描写はターの“心的ゆらぎ”を表現しているに過ぎず、オカルト要素はそこまでありませんでしたが。

まさか最後に「ヒト狩り行こうぜ!」と言われるとは……ENDロールで流れる曲もクラシックとは似て非なるクラブで流れてもおかしくない曲で、それまでのクラシックびいきな流れはどこへ行ったのか、明らかに喧嘩を売っている。クラシックとゲームサントラ「人を感動させる音楽」という意味では平等。ゲームサントラだからクラシックより感動させられない、なんて言うのはタワケ以上のナニモノでもない。そしてターも学会を追放され仕事なんて選んでられないという背景もあるけど“職人”として指揮棒を振るっただけかもしれないし“単純に楽しんでいた”ようにも見えました。
教え子の自殺とターの関連性がちょっとわからなかったなー。いや自殺に追い込んだ要因は彼女にあるのはわかるんだけど、教え子の死の責任は果たして本当に“ター一人が背負わければならぬ”ものだったのか(まぁセクハラとかしていたらしいけど)私は違うと思いましたね。もしター一人の責任なら、どん底からのアジアでの心機一転、そこから「救い」にも見えるあのようなラストにするわけがないと思うからです。監督はターにゾッコンなのか?(ケイト・ブランシェットから着想を得たキャラクターらしいですが)彼女のような権力を欲しいままに振るうリーダーを嫌いつつも、そのカリスマ的な魅力は認めざるを得なかったのか。そしてカリスマだから“そう簡単に破滅しない”、例え泥水をすすってでもまた這い上がる、その強さは尊敬に値する部分もあります。ターを決して“悪人のまま終わらせない”というのがまた面白いですね。
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