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プレゼンス 存在(2024)


【原題】Presence

【監督】スティーヴン・ソダーバーグ

【出演】ルーシー・リュー クリス・サリヴァン カリーナ・リャンほか

【あらすじ】

崩壊寸前の4人家族が、ある大きな屋敷に引っ越してくる。一家の10代の少女クロエは、家の中に自分たち以外の何かが存在しているように感じられてならなかった。“それ”は一家が引っ越してくる前からそこにいて、“それ”は人に見られたくない家族の秘密を目撃する。(映画.COMより)









 
【感想(ネタバレなし)】

『0.00005ミリの衝撃。』

 




どーもどーもラーチャえだまめです。しばらく更新が止まっておりました。というか少し前に一人旅してました。一人で色々考えたくなった、自分という“存在”をもう一度見つめ直すために……



なんてことはなくただ人に勧められない程に呑んだくれの旅がしたかったから、というわけで本日はコチラの映画を拝見させて頂きました



【プレゼンス 存在】!?おいおいちょっと待ってくれよ「ソダーバーグのホラー」だなんて聞いたことねえぞ!?旅先でずっと気にしていたコチラ。「セックスと嘘とビデオテープ」で名を馳せた後11人の洒落乙強盗集団「オーシャンズ11」シリーズ、チェ・ゲバラの半生を描いた「チェ」、「サイド・エフェクト」等、ドラマ次いでサスペンスのイメージが強いステーヴン・ソダーバーグ監督なんでありますが、過去には露産リメイクの「ソラリス」でSF界にチラッと顔見せしたものの、これまでホラー映画の棚に彼の名はなかた。いや最近コロナ大流行の予言的映画として再注目され現在続編企画も進行中という「コンテイジョン」がパンデミクホラーだろ言われればそうかもしれませんが……(汗)



そのソダーバーグが今年何の因果かホラー界で注目されるとは全く持って驚きでしたね〜。しかもどうやら「全編幽霊視点」というPOV映画で?DBDばりの加害者視点で逃げ惑う人達を脅かしまくる映画なのか……??さらに脚本はこれまたビッグネームの数々の名作映画の脚本やジョニデの「シークレット・ウインドウ」を手掛けたデヴィッド・コープ!?そんな2人がわざわざ名前を隠して作ったんじゃないかというレベルで「低予算B級ホラー」に滑り込んだコチラ。










いや幽霊“優男”かよ





 

“全編幽霊視点”で見る「家族ドラマ」




まず結論から言うとおっかなビックリさせられるような映画ではありません。むしろおっかなビックリ“させる”側なので、ジャンプスケアとか苦手な方でもその辺りは安全地帯でご鑑賞頂けるかと。全編“幽霊の視点”というPOV映画でも稀な仕様が、まるで我々が霊体になったかような気分にさせてくれる(奇しくも見たスクリーンがMX4D仕様で微弱でも揺れる不安定な座席がまるで浮遊した霊体のソレであった…)あの世の“システム”こそ説明はないが、製作陣の中にある「幽霊になったらどうなる?」を最大限想像を膨らませて作ったであろう“仕様”も興味を掻き立てられ面白い。(ちなみに撮影もソダーバーグが担当)生身の人間から“恐怖”の対象になった暁に脅かす側の特権をフル活用して、新しく住み着いた一家をどうビビらせてやろうか……なんてビートルジュースみたいなブラックコメディアンにはならず



はじめは「なんだろうこの家族は…?」みたいな明らかな興味関心を抱いているのが映像の動きからわかるんですよね。そこから至近距離で家族の「モニタリング」が静かにスタートする。そこには家族に対する悪意は感じられず、彼らの生活を出来るだけ邪魔せずにただ静かに行動を見守るという、まるで守神のような振る舞いにもう既に「ホラー映画ではない」ことは明白で、これは幽霊だからこそ“包み隠さず”観察できた人間ドラマか!!と納得。



しかもその家族全員が実に「ウマがあってない」のだからこの家族には絶対に何かウラがある、と興味を引き立てられる。長男ばかり溺愛するルーシー・リュー演じる母親はちょっと違和感アリストテレスだし、その長男はひたすら生意気で家族に対して協調性はなく、家族の前でドッシリと構えてはいるが妻との関係に“何か”を抱え友人にこっそり法律関係の相談をする父親、そして親友を失い家族とも心を閉ざす妹。みんなバラバラ。こりゃあ幽霊も「色々事情あるんすね…」とちょっと心配してしまウド鈴木〜




 

幽霊という“存在”と“孤独”




本作に登場する幽霊という“存在”を考えた時、怖いというより虚しい、喪失感、虚無感といった印象を受けました。目の前に存在しているのに認知されない哀しさや孤独。幽霊は音も立てず声も発することが出来ない。超常現象で棚から物を落としたり超音波のようなキーンという音で脳内に訴えかけることは出来ても完全にものを伝える術はない。そこに幽霊のやるせ無さというか無力感を感じる。そしてそんな幽霊と同じなのが家族に囲まれているのに疎外感を感じている妹。家から一歩も出ずに引きこもっているのも幽霊と同じだし、家族の中で唯一幽霊と“同調”することができて幽霊に何故か親しみを感じている。それはその存在が“亡くなった友人なのではないか”という疑いからきているものの、お互いに孤独を感じ合う仲としても繋がりを感じている。“孤独”を感じるのはあの世でもこの世でも変わらないってか?



ソダーバーグが「幽霊という存在なら何を見るのだろう?」という興味から生まれたらしい本作。「他人様には見せられない家族のウラ事情」を家の主であり幽霊様の特権で我々部外者も一緒にミタゾノする映画なんだけど、ただもうちょっとその肝心の家族を見してほしかった、という惜しいところはありました。途中家族の物語からサスペンスに方向チェンジしていくのがね、そっちをメインにしたかったの?まさか10年に一度のシリアルキラー映画のウラでもう一人のシリアルキラーが暗躍していただなんて……。「怖いのは幽霊か、それとも人間か」もテーマの一つになっております。ほかにも断片的に見せるから家族に感情移入しにくかったり、その間に挟む暗転の時間の長さ、あと劇中何時か流れる音楽は少しノイズに聴こえてしまったり。厳しい評価をしてしまいましたが、ラストで明かされる意外な事実。そこからジワジワと「あーだからそうなのか」とそれまでのシーンの謎がわかってきたり、ただの幽霊映画で終わらせるには勿体ない意味がわかるとそこから旨味が増す、そんな映画だと思いました。(ここではネタバレ出来ないから変な言い回しだ…)本作を既に鑑賞された方で「最後のアレは何?」となった方、よろしければ下のネタバレ記事もどうぞ。






 
【感想(ネタバレ)】







鑑賞後の議論の的になっている「結局幽霊って誰??」問題。てか何がしたかったの_??となった方もいるかもしれません。散々超常現象で脅かしておいて、妹が襲われている間はただ見てるだけで最終的に兄を起こして妹の危機を知らせるだけなのが??派手に現象起こしたらまた家族会議になって引越されちゃうから?あえて遠回しな対応をしたのか??が結局「兄の死」という悲惨な最期により引っ張られちゃうやんけ……。(それまでいいとこ無しの兄の命を張った唯一の良さがわかっただけで良かったのか…)



そして最後、古鏡に死んだ兄が映りこみ母親がそれを見て泣き崩れ、まるで成仏されたかのように家の外に……あれ絶対天に召されましたよね??天に召されたのは兄。つまりあの最後のシーンだけ死んで霊体となった兄の視点??



でそこでインチキ臭い霊媒師の「未来や過去といった時間の概念がない。」はいコレがガッツリなヒント。そのままの意味になりますが霊には過去と未来、時間の概念がないのです。ラストシーンで鏡に写った霊の姿は兄。つまり本作の視点は最初からずっと死んだ兄、だったのではないか。兄はあの家で既に死んでおり、家族が越してくる前からずっと家にいました。時間の概念がないので生前の自分と霊体の自分が同時に“存在”している、そこが複雑にしている点。何かと妹の味方をしていたのは兄だから。兄は生前妹に冷たい態度ばかりとっていました。そして自分も知らなかったとはいえ、サイコキラーな友人を自宅に招き入れ妹に会わせてしまった。その結果妹の命が危険に晒されたことへの罪滅ぼしの為に家に残り、再び悲劇が繰り返されるのを阻止した。そしてラスト無事に妹が生還したことがわかってあの世に逝くことが出来たと。その前に一番自分を可愛がってくれた母親へ、自分の姿を見せて……。



だがそれだとそもそもサイコキラーの友人を自宅に招く前に対処しないか?妹との接近をまじまじと見ているだけなのは明らかにおかしい、という疑問が生まれる。そこで再び霊媒師のセリフ「自分が誰なのか混乱している」というセリフ。はじめは自分が誰なのか分からなかったのではないか。だからその後の展開もはじめは読めず、ずっと見ているだけだった。はじめ鏡に姿が写らなかったのも自分が誰なのか分からなかったから。しかしラストでこの家族の兄であることに気づき認識できたからラストだけ鏡に自分の姿が写った。タイトルの“存在”。自分が何者なのか。それがわかるまで時間の概念がない世界を彷徨い続ける哀しき幽霊のお話でしたね……。

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