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LAMB ラム(2021)


【原題】Lamb

【監督】バルディミール・ヨハンソン

【出演】ノオミ・ラパス ビョルン・ヒーヌル・ハラルドソン ヒルミル・スナイル・グズナソンほか

【あらすじ】

山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリアが羊の出産に立ち会うと、羊ではない何かが産まれてくる。子どもを亡くしていた2人は、その「何か」に「アダ」と名付け育てることにする。アダとの生活は幸せな時間だったが、やがてアダは2人を破滅へと導いていく。(映画.COMより)







 
【感想(ネタバレなし)】

『髪飾りの出る映画はヤバい説』

 





どーもどーもジン…ジン…ジンギスかぁ〜ん♫の歌はモンゴルの歌で歌っているのはドイツ人です何このカオス……しかし本日はそれよりカオスかもしれないこちらの映画を拝見させていただきまメェ〜



【LAMB ラム】…!!!いやー2022年はブタだのライオンだのムツゴロウ王国ばりのアニマル天国になりそうですが、今宵は干支なら5年フライングしたことになるLAMB=ヒツジうんうんあの独特な臭みが堪んないのよねぇ〜近所にラム肉で出汁をとったラーメン屋があって……てそんな話この夫婦に話したらライフルで射殺されてしまうかもしれない何の因果かある羊飼い夫婦の元に突然訪れた“キセキ”ひつじのショーンもお口アングリラな“ヒツジとニンゲンのハーフ&ハーフ”が爆誕してしまった_!?



前に「ブラックシープ」っていう“ゾンビ羊”はありましたがね、この摩訶不思議アドベンチャーな世界を世に放つはA24、A24ですよ皆さん!?セカイを混沌と恐怖の渦に陥れる「鬱系ホラー(主に戦犯はアリ・アスター)」増産工場のイメージがそろそろ定着しつつある日本でもジワジワ知名度をあげているジブリならぬA24スタジオが?またしてもラム肉の如くヒトクセもフタクセも臭っせぇ〜「好き嫌いの別れる」ホラー映画を生み出してしまいました。しかもー?舞台は広大な自然残るアイスランド、アイスランドホラーと言ったら「北欧ホラー」!!嗚呼〜!!もう駄目だああああー!!救われる気がまるでしない寒々しい景色だけでももう心はチンカチンカに凍っちまう、そんなシネマ的に精神的ドギツいエリア「北欧」+「A24」=絶望on絶望…?串カツだって二度漬け禁止だってのによぉー!!!そんな話題作である「LAMB ラム」















思いの外「ファンタジー」だったのメェーッ






 

ほんのちょっとの「差」でこんなにも違うのか……



広大なアイスランドの田舎で二人三脚で羊飼いをする夫妻。ある日1匹の羊の出産に立ち会うと産まれてきたのは紛れもない「ヒツジの顔をした何か」だった…??夫婦は「ソレ」を「アダ」と名づけ大事に育て始める。そう、まるでアダを「我が子」のように大切にしながら……



あらすじを読んでこの映画の「言いたいこと」って、大体勝手にわかった気でいたというか、要は「家族」の「線引き」って?___って話なんじゃないの?



まず本作には様々な動物が登場します。「ペット」担当の家ネコにゃんにゃん、訓練された牧場担当「犬」、そして完全「家畜」担当の羊……同じ「動物」でもそれぞれ「担当」が違う。役割が違う。夫婦はネコと犬は愛でるが羊は愛でない。何故なら羊は夫婦にとって商売道具のようなものだからです。この映画に登場する動物たちは、皆がそうやって「担当」により「区別」されていた。そこへ「グレーゾーン」のアダの誕生によりその境界線がジョジョに崩れ始める。夫婦にはかつて子どもがおりました。本編ではあまり詳しくは描かれませんが、何かの事故で愛する我が子を失い、2人ともどこか心にポッカリ穴が空き空虚になっていた。アダとはその亡くなった子どもの名前、だったんですねぇ。



そんなことしたら、もう情は移りっぱなしですよね。アダは夫婦にとって一度失った失意を埋めてくれる“かけがえのない天からの授かりもの”であり、我が子以上の何者でもない。なんたる狂気?いやどう考えてもイカれてやがる!!



そんな「家畜」の腹の中から生まれたアダと家畜の「違い」とは?この線引に揺れる夫婦。否夫婦はもう出会って数秒で拒否反応を見せるどころか完全にアダを我が子として迎え入れてしまうので、この問題は見ている我々視聴者に対してかもしれません。我々はずっと首を傾げならこの疑問と違和感に目を向け続ける。もしアダが羊じゃなくて牛の子だったら?その日から牛肉食べなくなるんですか?牛の精肉工場とかホラー以上の何者でもありませんね?





 

「暴走」する「本能」





物語は全3章で構成され区分けされているから筋はわかりやすく観ていて世界観に入りやすい。いや世界観に没入出来る理由はそれだけではない。監督は今作が長編デビューの北欧のヴァルディミール・ヨハンソン。かつてRスコットの「プロメテウス」や「ローグ・ワン」などハリウッド大作が北欧で撮影する際の“ロケハン”を担当していた人物だという、つまり今作に登場するCGじゃない美しいアイスランドの絶景をフィルムに納めるなんぞオチャノコサイサイのサイでありまして?まるで我々も実際にその場にいるかのような「空気感」、そして実際に羊の出産シーンを撮影したり夫婦の生活環境も見せリアルな「環境」を作り出すことに成功しているんですねー。この絶景をフルスクリーンで拝めるだけでも素晴らしいと思います!しかし反対にBGMも極限まで省いたこの広大なアイスランドの山々、大地、霧がかったセカイを肌で感じて欲しい。そして羊。しかも1匹だけではない。羊が1匹、羊が2匹、羊が3びk















眠っちゃ駄目だ眠っちゃ駄目だ眠っちゃ駄目だ眠っちゃ駄目だ眠っちゃd…






序盤からもうマブタがキツい。こればっかりはさぁ……だっていっぱい羊出るんだもん!!眠くなるよそりゃあああああ…!!!



主演はハリウッド渡米後はこれといったシリーズものなど当たり映画に恵まれないスウェーデンの宝ノオミ・ラパス。なんかの映画で7人に分身したこともある演技派女優としてセリフ量こそ少ないもののアダに何ら違和感を感じることなく優しく抱きしめ再びの「幸せ」を噛みしめる女性を見事に演じております。まさに「母性の暴走」というべき怪演。いや夫も一緒になってアダを愛しているし、この夫婦にとっての「幸せ=アダ」に完全にすり替わってしまう人間の













「暴走する本能」の怖さ






やはりコレですよねぇ。先に挙げた家族の線引き、というテーマのほかに今作にはもう一つ、「本能の暴走」これを壮大に皮肉っている映画だと思いましたね。



中盤で夫の弟が登場します。この弟は夫婦のいる牧場から遥か遠くの完全に“外の世界”からやってきた人間でアダの存在、そしてそれを我が子として見ている夫婦に恐怖を覚えます。まさにこの映画の世界で“部外者”である弟は、我々視聴者と最も距離の近い存在で我々と同じ「違和感」を持ちます。そして兄と奥さんの「親」としての本能が、完全にバグってしまっていることに恐怖する。親の暴走。それは本当の意味で「幸福」なのだろうか___?



「ヘレディタリー」「ミッドサマー」並の鬱度はありませんのでご安心を。“北欧”と相まってヘビィなものを期待しておりましたが、意外にも鬱映画というよりは“ちょっと奇妙でいてコメディっぽくもあるホラー”みたいな感じでした。だからエグみもそこまでありません。まぁラストも“自業自得よな”養護できない日本昔ばなし的なチャンチャン〜♫な締めくくり方で、いやホント“毒っ毛のある本当のグリム童話”みたいなファンタジー映画でございました…。






 
【感想(ネタバレ)】





アダが一切喋らなかったのは正解だったかも(読み書き出来たのかは謎でしたが)変にコメディっぽくならず最後まで一定の緊張感を持って見れましたねぇ。いやラストを除いては…



……せめてブリーフ1枚でも履いていて欲しかったぜクライマックスでガッツリ出てくる親御さん(場内では一瞬笑いが…)しかもめちゃくちゃライフルで狙ってる、狙ってるよおおお…!?ちなみに北欧ではありませんがアメリカでは「ヒツジ男」なるれっきとしたUMAが存在しており……てまぁ羊顔の悪魔だっているわけですし、何か宗教的な意味での羊、だったのかね。そしてアダの表情ですよ。アダはまだ子どもですらね、「何も出来ない」わけです。この映画は全てが「大人の都合」により構成された世界で、そう考えるとアダが何よりも可哀想ですよね…。



アダがはじめて本当の親の顔を見てそのあと鏡の前に立って自らの顔を見たじゃないですか?あそこでアダは「おやおやまさかアレがお父ちゃ……」と勘づいたのかもしれませんね。まぁアダだって本当は食卓の上の手料理より某ケンミン並にそこらへんの草の方が食べたかったのかも……おっと誰か来たようだ



ラストはこれまで手塩にかけて大切に愛を与え育ててきたアダを「本当の親」に奪われたことで、そこでハッと我に返って「嗚呼、「アレ」はやっぱり人ではない羊だったんだ。」とアダの本当の母親から奪って(母親を射殺までして)まで執着していたのに、本当の父親でしかも夫を殺すほどの技量を持つ「強敵」相手に、自分の命とアダを天秤にかけて結局は自分の命を選択する愚かさ、なんなら夫の弟とも関係を持てばなんとかまた家庭を築けるかもしれんし?「アダを救う」というリスキーな選択をせず「奪い返さない」という選択をしたら面白いなぁー。夫の方がむしろ死ぬ間際までアダを我が子として見ていて「母性」の方がむしろ残酷的な?なんたる傲慢で身勝手な、人間の都合のよさを壮大に皮肉るオチかと思っておりましたが、それすらわからぬENDでしたね。



でもあそこでアダを単純に取り返しに行ったとすれば「あまりに普通」すぎる気がするんですよね。いやあの「大きなため息」は「やれやれ、これから取り返しに行くか…」とちょっと乗る気じゃない感じか?頭ではまだ“我が子”と認識していても、心はもう既にそうではない、と心移りしてしまったみたいな“半分本心ではない”やりたくないけど夫の為にもやらなきゃなぁ…(そんな投げやりな感じではないけれども)あのため息から個人的にそんなことを連想してしまいました……。


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