top of page

aftersun アフターサン(2022)


【原題】Aftersun

【監督】シャーロット・ウェルズ

【出演】ポール・メスカル フランキー・コリオほか

【あらすじ】

11歳の夏休み、思春期のソフィは、離れて暮らす31歳の父親カラムとともにトルコのひなびたリゾート地にやってきた。まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごす。20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶をよみがえらてゆく。(映画.COMより)






 
【感想(ネタバレなし)】

『“孤独・エクスペリメント”』

 




どーもどーも最近鼻パックにハマッておりますラーチャえだまめです。早速ですが本日はコチラの映画を拝見させて頂きました



【aftersun/アフターサン】___。映画好きの友人からオヌヌメされたコチラ、5/26より公開された作品ですがいまだ“ロングラン中”ということからも熱烈なファンを生み出し続けているのがわかる、いや存在は知っていたのですが友人から“今年のベスト映画”とまで言われてしまいまして……気になって観て参りました。あ、ちなみに「パンフレットは即買いしました。」あいや、私未だにしがない独人男性を演じて(あれれ〜どこへ行っても書割の空がないよ〜?)おりますが














こりゃ子持ちじゃなくても泣くぜ?






思わず涙が出そうになった……否、今なら“あのENDソングを聴いただけで泣ける”




これはエロい、間違えたエモい、エモすぎるぞジョジョぉおおー!!!(泣)な、なんと説明したらいいのでしょう「別に“何か”が起きる映画ではない。」しかしなんだろう、この観終わったあとの「ずーーーーーん」ペッコリ斜め45℃の感情……。アナタはこの映画を観て「ナニを感じましたか?」____本作はまさにそんな昨今の2倍速で観てあとはウィキペディアかネタバレサイトのお世話になる“流行りの見方”が“絶対に通用しない”「10人観れば10通りの解釈」が出来る、そんな不思議な映画かもしれません……。





 



1台のビデオカメラの再生と共にこの物語が始まる。ピンボケしまくりの映像。11歳の少女ソフィがカメラを手に持つ。「11歳の時、将来は何してると思ってた?」カメラを父カラムに向けてソフィは問いかける。カラムはカメラの前では話したくないような素振りを見せる。ソフィーは尚も問いかける。そしてカメラをもう一度カラムに向けた。カラムは…



“年齢より若く見える”31歳になる父親カラムを演じたのは新人ポール・メスカル。次回作にあの「グラディエーター2」で主演を張ることが決定済みの超新星ですが、撮影当時25、26歳ですよね?それなのにもう完全に“父親にしか見えない”この落ち着き様、“いい意味でオーラがない”完全に一般人になりきっているというか、そしてソフィを演じたのはオーディションで選ばれたコチラも本作が俳優デビュー作のフランキー・コリオ。この子がとにかくメチャクチャ可愛い。ちょっと若い時のナタリー・ポートマンに似ていないか?ちなみに演技経験ゼロの彼女の“自然な演技”を引き出すため、台本は渡さずほぼ即興で作成された“セリフのみ”を教えていたそう。この2人の演技にもう脱糞、あいや脱帽でございます













“本物の親子”にしか見えない






極端に2人だけのセリフが多いわけではない、むしろセリフがない時の“2人の空気感”がさぁ、もう本物の親子のソレにしか見えない!?カラムが「ホラ背中向いて」って言ってソフィが何も言わずに背中を向けて日焼け止め塗りたくって「今日は何をする?」……もう“愛おしき親子の営み”いやーこういう何気ないシーンばかりをギュッと詰め込んだだけなのに、別に自分の幼少期はあんなんじゃなかったはずなのに、何故不思議と“懐かしさ”を感じてしまうのだろう……エモい合唱



監督は本作が長編デビュー作のシャーロット・ウェルズ。本作は彼女の半自伝的作品でもあるらしく、ウェルズ監督の幼少期でも元ネタになっているのかな、なんて思えてしまう。実体験のような“生々しさ”がまた時に美しく、そして時に“残酷”に、ありのままを映し出しているというか……それでいてスナップ写真のような“あの映像美”でそれをやられてしまうとね……「どうしてこの世はこんなにも生きづらいのだろう。」どうにも“他人事のように観れない”思わず自分自身と重ねて観てしまいました。鑑賞後はこの親子のことで頭がいっぱいになりましたね。あまり詳しく言えないのが申し訳ないのですが、それくらい“強烈”にココロに刻まれた、これは“一度観たら忘れられない”そんな1本でしたねぇー。






 
【感想(ネタバレ)】




とにかく劇中に説明がなく「観たままの感情を感じろ」的な、“雰囲気映画”として作られている為、いやホントに「アナタの観たまま・感じたままの、それが“答え”です。」の何物でもないのですが……



私個人の解釈としては、まずカラムの置かれていた状況として、妻と離婚してソフィともう会わない、“会えない”状態だったと考えました。カラムにとってソフィはかけがえのない存在、カラムにとって「ソフィが全て」だった。そのソフィと誰にも邪魔されない2人きりで過ごせる“最後の時間”が、あのバカンスで過ごした数日間だった。はじめはソフィと楽しく過ごすカラムですが、1日また1日と時は過ぎていき、そして終わりの時間に近づくにつれソフィのいない「孤独感」に襲われ始める。そしてバカンス最終日、カメラを手に持ったカラムは、きっとソフィの前では笑顔で空港まで送り迎えたんじゃないかな、しかしソフィと別れた瞬間、彼は「生きる目的」を失ったように抜け殻状態になり……



成人したソフィがあの日のビデオを観て父を懐かしむ=これはもう父カラムが「今現在この世にはいない」ことを暗示している?もし生きていればソフィの誕生日にせめて電話とか手紙くらいが寄越しますしね?ポリゴンショックしまくりのクラブのシーンは次のシーンで目が覚めるソフィ=ソフィの夢。そしてその夢のシーンでも目の前にカラムがいるのに人混みで近づけないし叫んでも周りがうるさくて声が届かないなどといったソフィが「もう父とは会えない」状態であることがわかりますね。“あの時父は何を考えていたのか”父の心情が知りたい。けどもう知る術がないから、唯一生前父の映ったビデオカメラを見直して確かめよう。あの時幼くて理解できなかった、今“父と同じ年齢”になった今だからこそ、理解できるかもしれない……そんな想いでソフィはビデオを再生したのではないか。



そのソフィが父と自分を重ねたのは年齢だけでしょうか。ソフィの横に眠る女性=ソフィはレズビアンであることがわかりますが、カラムももしかしたら“ゲイだったのではないか”?ホテルのビリヤード台で青年たちに絡まれるシーンでの様子がちょっとおかしかった、終盤でカラムが部屋に鍵をかけたまま全裸で寝てしまいソフィが部屋に入れないシーンで、ソフィが部屋の前から下を見下ろすとゲイのカップルがキスしているのを見つけますが、その時にあまり不思議そうな顔をしていなかったように見えたんですよね。それはつまり2人の学校の先生を口説いた〜の件は本心じゃなくて、本当は父がゲイであることをあの頃からソフィは薄々気づいていたんじゃないか?



父と娘、共通しているのは共に同性愛者であること、そう考えると、それが原因で2人とも














「社会で生きづらさ」を感じていたのではないか。






カラムは自分がゲイであることで社会で生きづらさを感じていたのでは?それが彼を追いつけたもう一つの理由。そして成人したソフィも今、父と同じ「生きづらさ」を感じる身となったことから、当時の父の心の辛さを今なら理解出来るのではないか、と思ったのでは…?



ビデオで記録された映像は事実で間違いないと思うのですが、ただそれ以外の場面(というか本編のほぼ全てのシーン)は実は“事実ではない”可能性はないでしょうか?たとえば映画序盤でソフィが寝ている間カラムは部屋のベランダで1人何をしていたかなんてソフィにはわかりっこないからです。我々は第三者の視点からこの物語を傍観していますが、本作がソフィの撮ったビデオカメラから始まっていることを思い出してみて下さい。つまりこの映画はソフィの視点、もっと言うと“成人したソフィ”の視点で描かれた話なのです。ですからソフィのいない間のカラムの行動は、本来ならこの本編の中に存在しないはずなのです。よってこのビデオカメラの映像以外のシーンは、成人したソフィがビデオカメラの映像を観て“あの頃の記憶”を呼び起こした「記憶と想像が混在した」映像なんじゃないかと。



誰しも「社会の生きづらさ」を一度は感じる時があるでしょう。この映画で扱っているテーマは非常にデリケートな要素を含んだ、誰もが感じる“負”の部分をこの親子を通して描いている、そんな映画だと思いました。

Comments


bottom of page